百詩篇第5巻37番

原文

Trois cents 1 seront d'vn vouloir & accord,
Que 2 pour venir au 3 bout de leur attainte:
Vingtz 4 moys apres tous 5 & recordz 6 ,
Leur roy 7 trahir 8 simulant haisne 9 faincte.

異文

(1) cents : cent 1611B 1660
(2) Que : Qui 1627 1644 1653 1665 1672
(3) au : aù 1668A, à 1712Guy
(4) Vingtz 1557U 1557B 1568 1588Rf 1589Rg 1589PV 1772Ri : Vingt T.A.Eds.
(5) tous : seront 1627 1840, tous seront 1644 1650Ri 1650Le 1653 1665 1668 1712Guy, tous eux 1672
(6) recordz : record 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716, leurs records 1672
(7) roy 1557U 1557B 1568A : Roy T.A.Eds.
(8) trahir 1557U 1557B 1568A 1589PV 1590Ro 1649Ca 1650Le 1668A : trahy T.A.Eds.(sauf : trahi 1568B 1568C 1568I 1772Ri, trahit 1668P)
(9) haisne 1557U : haine / hayne T.A.Eds.

校訂

 ブリューノ・プテ=ジラールも指摘するように、3行目は10音節に足りない。何らかの語句が脱落しているのだろうが、17世紀の初版に見られるような seront を補う読み方が妥当かどうかは何ともいえない。

 ジャン=ポール・クレベールは4行目の fainte (偽りの)は sainte (聖なる)の誤植なのではないかとした。

日本語訳

三百人がひとつの望みと合意に属するだろう、
彼らの目的を達成しきるために。
二十か月の後、全ての者たちと証人たちが、
偽りの憎悪を模倣しつつ、彼らの王を裏切る。

訳について

 2行目は venir a son atteinte (目的を達する)という中期フランス語の成句を踏まえた表現だろう。ジャン=ポール・クレベールもそう理解している。

 大乗訳はおおむね許容範囲内と思われるが、3行目「二十ヵ月あとに かれらとその相手で」 *1 は、records がなぜ「相手」になるのかが分からない。ヘンリー・C・ロバーツの英訳にある partners を訳したのなら、この場合は「仲間、味方」などと訳すほうが良いだろう。「仲間」という訳はジャン=ポール・クレベールの釈義で partisans (仲間)があてられていることからすれば、許容される余地がある。
 なお、ロバーツの英訳はテオフィル・ド・ガランシエールの英訳のほぼ丸写しだが、実はロバーツの仏語原文はガランシエールが採用したものと大きく変わっている(1649年ルーアン版あたりで修正したようだ)。にもかかわらず英訳に変更がない点は、ロバーツの仏文読解力に疑問を投げかける。
 山根訳も3行目「二十ヵ月の後 すべての想起を経て」 *2 が微妙だが、「想起」という訳は古フランス語で memory の意味と注記したエドガー・レオニの読み方が転用されたものだろう。
 ちなみに、当「大事典」で records を「証人たち」と訳しているのは、中期フランス語で record に「証人」(témoin)という意味があり *3 、クレベールも基本的な語義としてそれを挙げていることに基づいている。

信奉者側の解釈

 テオフィル・ド・ガランシエールはイングランドの事例だろうとしつつも詳述していなかった。バルタザール・ギノーも未来のこととして、情景を敷衍したような解釈しか付けていなかった *4

 その後、20世紀前半までのほとんどの論者は解釈を付けていない。ヘンリー・C・ロバーツが、フランス革命期に立法議会が下した国王ルイ16世への出廷命令と解釈したのは、例外的なものである *5
 ルイ16世の処刑が議決されたこととしたセルジュ・ユタンも似たような立場と言えるだろう *6

 エリカ・チータムは全く解釈を付けていなかった *7
 しかし、その日本語版(1988年)では、当時の自民党が衆議院で300議席を獲得していたことの予言とし、竹下登政権が20ヶ月で終わるだろうと解釈していた *8
 竹下政権は1987年11月から1989年6月までの約20ヶ月間で、リクルート事件などが理由で退陣した。そういう意味では、この解釈は当たったといえないこともない。

懐疑的な視点

 竹下政権とする解釈は一応当たったといえる。ただし、中選挙区制を採用していた当時と違い、選挙区選出が小選挙区制になった現在では与党の300議席超えは珍しいものではなくなっている。2005年の郵政選挙しかり2009年の政権交代しかりで、選挙制度が変わらないかぎり、今後も同じような現象は続くだろう。
 要するに、日本に限っただけでも、300議席以上を一つの党が占めるというだけでは特定性が低い。そして、政権が短命に終わるときには最高権力者が自ら選んでというよりも、何らかの「裏切り」によって引き摺り下ろされることがしばしばであろう。
 そういう意味では、当てはまる事例は今後も生まれるであろうと容易に想像できる。

 なお、信奉者側の解釈では、結果的に議会の話に限定されているが、反乱軍の決起の類と読むことも可能だろう。

同時代的な視点

 詩の情景はそれほど難解なものではないが、特定のモデルは提示されていない。



コメントらん
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  • 308議席をとった民主党のことだったりしてw いや、冷静に考えたら笑えない。それどころか怒りがこみ上げて来る。 -- とある信奉者 (2010-06-09 00:19:21)
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