黙示録の十字

 黙示録の十字ないし大黙示録十字は、1999年のグランド・クロスを指す言葉として、占星術師のフェニックス・ノアなどが提唱していた名称である。ただし、当「大事典」の調査の範囲では、伝統的な占星術に基づいているという裏づけが全く取れていない。


【画像】 羽仁礼 『図解 西洋占星術』カバー表紙

概要

 グランド・クロスは太陽系の「惑星」(占星術の術語なので太陽、月を含む) が、地球を中心に十字型に並ぶ星位のことである。
 1999年8月18日前後に起こるグランド・クロスを、フェニックス・ノアは「黙示録の十字」と呼んだ。

 彼は『ヨハネの黙示録』の以下の箇所に1999年のグランド・クロスが予言されていると主張した。

  • 玉座の前は水晶に似ている、玻璃の海のようであった。玉座の中央、また玉座のまわりには、前にも後にも目が一杯ついている四頭の生き物がいた。第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は牡牛のようであり、第三の生き物は人間のような顔を持っており、第四の生き物は飛んでいる鷲のようであった。そして四頭の生き物はおのおの六枚ずつの翼を持っており、それらはまわりにも内側にも目が一杯ついている。そしてそれらは日夜休むことなく、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、/主なる神、全能者、/いたもの、いるもの、来るもの」と述べている。(第4章6節から8節・佐竹明訳)*1

 この「獅子のよう」な生き物が獅子座、「牡牛のよう」な生き物が牡牛座、「人間のような顔を持って」いる生き物が水瓶座、「飛んでいる鷲のよう」な生き物が蠍座とされ、それぞれに惑星が集まるグランド・クロスを描写しているとした。鷲が蠍座と結び付けられるのは、古来、蠍座のシンボルに「飛ぶ鷲」が用いられたからだという*2


【画像】 ヨハネの黙示録(岩波書店 新約聖書翻訳委員会)

コメント

 『ヨハネの黙示録』の該当箇所をグランド・クロスと結びつけるのは無理がありすぎる。それは占星術、聖書学のいずれの側面からも言えることである。

占星術の面から

 「黙示録の十字」という位置づけは伝統的な占星術にないものらしい。現在では海外でも同種の主張をする者はいるが*3、そもそも蠍座と「飛ぶ鷲」を結びつける解釈自体が伝統的には見当たらないものだという*4

 実際、西洋の星座の元になった古代メソポタミアの星座には、確かに現在とシンボルの異なるものがあり、たとえば、2匹の魚として描かれる魚座は、片方がツバメと思われる鳥になっている場合があった*5。そのほか、乙女座は本来「畝」を示す星座であったりしたが、さそり座は古代メソポタミアの時点でもサソリとして描かれており*6、鷲とのつながりを示唆するものはない。

 古代にそのように結び付けていたという説得的な出典が示されない限り、現代になって急に言われだした解釈の可能性も排除すべきではなく、その場合、その結び付け方に妥当性があるのかも問われなければならないだろう。


【画像】 近藤二郎 『わかってきた星座神話の起源 - 古代メソポタミアの星座』 カバー表紙

聖書学の観点から

 『ヨハネの黙示録』は様々な寓意を含んでいるため、文脈を無視してこじつけようとすれば、どんな解釈でも導けてしまう。例えば、グランド・クロスと結びつける解釈では、その四つの生き物がもっている 「六つの翼」 や 「一面にある目」 が何かは判然としない。

 さて、『新約聖書 共同訳・全注』(講談社学術文庫)では、この四つの生き物について「自然界とその現象を支配する四天使」と注記されており*7、同様の注記は岩波書店の新約聖書翻訳委員会版にも見られる*8。後者によれば、この4つの生き物が選択された理由は、「猛獣、家畜、鳥類、全被造物で考えられた自然界の中で、最も強力とみなされた四生物」*9ということらしい。

 そして、このモチーフがもともと『旧約聖書』の『エゼキエル書』に触発されたものであることはよく知られている。

  • わたしが見ると、見よ、北の方から暴風 〔あらし〕 と大いなる雲とゆれ動いている火(その周りに光輝 〔かがやき〕 があった)が臨み、その真中から白金の輝きのようなものが光って見えた(火の真中から)。その中から四つの生き物の形が見えてきた。彼らの有様〔さま〕は人に似ていた。それぞれ四つの顔を持ち、四つの翼をつけている。(『エゼキエル書』第1章4節から6節・関根正雄訳)*10
  • その顔の形は、右側は四つとも人の顔と獅子の顔、左側は牛の顔と(四つとも)わしの顔である。(同第1章10節・関根正雄訳)*11
  • それぞれ四つの顔を持っていた。第一の顔はケルブの顔、第二の顔は人の顔、第三は獅子の顔、第四はわしの顔であった。(同第10章14節・関根正雄訳)*12

 見ての通り、こちらでは4つの生き物はそれぞれが人、獅子、牛、鷲の顔を全部持っていることになっており、若干描き方に違いが見られる。こうしたモチーフの起源は「メソポタミヤでよく知られる四面神と関係がある」*13ようだ。第10章ではその存在がケルブ(ケルビム)と結び付けられているが、これは第1章の記述が後代に書き加えられていった後、それをもとに加筆されたらしい*14
 こうなってしまえば、一つずつが別々の星座を表しているという主張は通らなくなり、もはやグランド・クロスと結びつけることは不可能になってくる。

 ただし、聖書学者の間でも、『ヨハネの黙示録』の4つの生き物を占星術上の4つの星座と結び付けようとする見解は複数見られた。しかし、その場合、上で見た通俗的な占星術がさそり座と飛んでいる鷲を結び付けているのとは違い、人の顔とさそり座が結び付けられていた。古代においては、さそりが人面を持つ生き物として描かれることがあったというのが、その理由である。しかし、この結び付けだと、残る「飛んでいる鷲」がどうして水瓶座になるのかを整合的に説明することが困難である。
 そこで、神学博士の佐竹明は、以下の理由を挙げて占星術的理解を否定する*15
  • もとになった『エゼキエル書』の描写に占星術的影響が希薄である。
  • 『ヨハネの黙示録』の著者は他の箇所で占星術に対して積極的な関心を示していない。
  • 実際の星座の並び順(牡牛座、獅子座、蠍座、水瓶座)と『ヨハネの黙示録』の並び順(獅子、牡牛、鷲、人)が一致しない。

 なお、百歩譲って4つの星座との対応関係を是とするとしても、それらの星座に星々が集まるグランド・クロスを描写していると解釈することとの間には隔たりがあり、そうしたグランド・クロスの中でも1999年8月に起こったグランド・クロスの描写であると限定するには、さらに大きな隔たりが存在していることは自明であろう。


【画像】 佐竹明 『ヨハネの黙示録〈中巻〉(現代新約注解全書)』新版。「黙示録に関する世界最高水準の注解」*16とも評される。

ノストラダムス関連

 このグランド・クロスを1999年7月の詩と結び付けようとする論者はしばしば見られたが、黙示録で予言されていたという立場まで踏襲した論者は、浅利幸彦安田一悟など、非常に限定的であった*17

 浅利に至っては、「1999年以前にこの説がオカルト本で出た時にキリスト教会が全く相手にしなかった」とし、その理由として『旧約聖書』の『申命記』などで占いが禁じられているからとしていた*18。しかし、上の節で紹介した佐竹の否定論が出たのは1978年、つまり五島が『大予言II』(1979年)で紹介して一般に広く知られるようになるよりも前である。聖書学者は頭ごなしに否定するのではなく、きちんとした原典研究に基づいてそれへの否定的見解を示していたのである。
 つまりは、浅利に限らず、オカルト本の著者たちは、すでに否定されている説に飛びつき、何の検証もしようともせずに妄信していただけの話である。
 実際、そうした論者の誰一人として、一体どのような記録に鷲とさそり座を同一視できるという記述があるのかについて、一言も説明していない。ましてや、聖書学者の見解を引いている論者など見当たらなかったから、さそり座と人面の結び付けに至っては、そういう組み合わせの可能性自体、微塵も見られなかった。

 なお、暦法の違いを考慮に入れたところで1999年8月18日前後は「7月」に含まれないので、「1999年7の月」 の詩と 「黙示録の十字」 を結び付けようという解釈自体が、そもそも的外れだったというべきであろう。

 余談だが、ヴライク・イオネスクは1999年8月11日の星位と件の詩を結び付けていた。その日ならば、ぎりぎりで旧暦の7月の範囲に入るが、彼の場合はグランド・クロスには力点を置いておらず、皆既日食を重視していた。実際、彼の著書にある星位図では、その日にはまだ星々が4つの宮にまとまれていないことを読み取ることができ*19、信奉者の著書によっても1999年7月とグランド・クロスが結びつかないことは確認できる。


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  • 出典として掲げた外部リンクや蠍座のシンボル解釈に関しては、羽仁礼氏からのご教示を賜りました。特記して御礼申し上げます。 -- sumaru (2010-06-15 22:50:39)
  • http://yoshinoiori.blog.fc2.com/blog-entry-620.html -- 蠍と蛇とそして鷲 (2015-02-20 00:52:14)
    • 管理者はIPアドレスを閲覧できます。「蠍と蛇とそして鷲」さんのIPは過去に当「大事典」およびその掲示板を荒らした人物のIPと一致しており、そのリモートホストは、外部の掲示板で「浅利幸彦」を名乗っている人のそれと一致していますね。こちらからは相手をしない、と申し上げたはずですが、そういう者のサイトに荒らしの謝罪をするでもなしにハンドルネームを偽って書き込むとは、礼儀やマナーというものをどう考えていらっしゃるのでしょうか。仕方がないので一度だけ相手をしてあげますが、錬金術では蛇→蠍→鷲というシンボル解釈があったところで、それが伝統的な占星術に取り込まれていた根拠が示されなければ何の意味もない話です。百歩譲って星座の対応が正しいとしても、そこに星が集まる話と解釈するには飛躍があるというのは既に本文に書いてあるとおりです。1999年7月という時期からもずれますし、「六つの翼」「前後一面の目」の意味も不明ですし、星座の話なら「昼も夜もなく神をたたえる」というのも意味不明です(星座って真昼間に見えるのでしょうか)。もちろん、「浅利」さんならいくらでもこじつけを提示できるのかもしれませんが、そもそもひどいこじ付けをしないと正当化できないような比喩なら、未来人がテレパシーで書かせたという貴方の説では最初から黙示録に書く必要がなかった情報のはずです。こじつけさえすれば、正しいと証明できるというような話ではないでしょうね。ついでに申し上げておきますが、英語の聖書が一番読まれているからギリシア語原典よりも原典とするにふさわしいというトンデモ理論(Wikipediaでも読んで聖書の主な英語訳だけでもどれだけあるのか、少しでも調べた人なら、一番読まれているという英語訳はどれのつもりで話しているのかと呆れるでしょうね)を振りかざす「浅利」さんなら、ノストラダムスの予言詩の日本語訳は私の訳ではなく公称発行部数8万とも16万ともいわれる大乗訳しか使わないはずですね。では、さようなら。-- sumaru (2015-02-20 23:26:42) *21日に微調整。
最終更新:2015年02月20日 23:36

*1 佐竹明『ヨハネの黙示録・上巻』(旧版)、1978年、p.9

*2 五島勉『ノストラダムスの大予言II』、フェニックス・ノア『ノストラダムスと大黙示録』pp.160-161 etc.

*3 ex.http://www.diagnosis2012.co.uk/3.htm#tarot

*4 出典はこの記事のコメント欄参照

*5 近藤二郎『わかってきた星座神話の起源 - 古代メソポタミアの星座』pp.54-55

*6 近藤、前掲書、pp.72-76

*7 同書 p.826

*8 小河陽『ヨハネの黙示録』p.26

*9 小河、前掲書、p.26

*10 関根『新訳 旧約聖書・第III巻 預言書』教文館、p.1061

*11 出典は同上

*12 関根、上掲書、p.1075

*13 関根正雄『エゼキエル書』、岩波文庫、p.149

*14 関根、『エゼキエル書』p.161

*15 聖書学者の見解については、佐竹、前掲書、p.366

*16 佐竹明名誉教授の著書『ヨハネの黙示録 中巻』が刊行されます

*17 浅利『ノストラダムスは知っていた』pp.193-194, 安田『白い女王の箱』p.74

*18 浅利『悪魔的未来人「サタン」の超逆襲!』p.64

*19 イオネスク『ノストラダムス・メッセージII』p.136