浅利幸彦(あさり ゆきひこ、1956年9月30日 - )は、静岡県沼津市出身の歯科医師(1999年時点)。東京歯科大学歯学部卒業。1985年の時点では埼玉県に在住。1999年に写真週刊誌の取材を受けた際には「ノストラ・エンジェル」と自称したらしい。
著書
以下の著作がある。
【画像】 『セザール・ノストラダムスの超時空最終預言』上巻
【画像】 『ノストラダムスは知っていた』
【画像】『悪魔的未来人「サタン」の超逆襲!』
説の概要
著書によって少なからぬシナリオの変更はあるが、基本的に歴史を天使的未来人 (天使的宇宙人) と悪魔的未来人 (悪魔的宇宙人) の干渉によってたびたび改変されているものと捉え、聖書とノストラダムスの予言は、人類が天使的未来人から救済してもらえる期限を示したものだったとしている。
とりあえず、上記の文献(特に1992年以降のもの)を中心に、その説のあらましを眺めておこう。
浅利の説では、人類はまず精神文化を一切持たずに物質文明のみを進歩させ、1999年にスペース・コロニーを実現したが、それは少数の選民を宇宙に逃し、残りの人類を抹殺するものであったという。しかし、その一連の事件によって地球は人の住めない星と化してしまった。宇宙をさすらうことになった人類は
3797年までにタイム・マシンを発明し、時間を遡及できるようになった。以上が最初の歴史(浅利が言う「元史」)であるという。
過去に遡ることで地球が台無しになる前の1999年にやってきた未来人は、その優越した科学力によって過去の人類を奴隷化してしまった。そのような身勝手な思想を持つ人々(悪魔的未来人)に対し、慈悲の心を持つ未来人の一派(天使的未来人)もいたが、数の面で圧倒的に劣る天使的未来人では地球を奪還することはできず、真理に目覚めないままの過去の人類との連帯が上手くいかないまま、何度も歴史改変を試みた。これが我々の経験している歴史の前におこったこと(浅利の言う「前史」)だという。
天使的未来人は物質文明を発達させるだけでは人類の目覚めを期待できないと判断し、宗教を与えることにした。聖書もノストラダムスの予言も、天使が人類救済のためにもたらしたものである。有名な
恐怖の大王の詩にしても、天使的未来人を呼べた場合の救済と、呼べなかった場合の惨劇の両面の意味が込められた多義構文で書かれた予言だったという。
人類は最終解読者として派遣された人物(つまり浅利)の言うことに耳を傾け、1999年までに天使的未来人を一致して呼ぶべきだったが、それは叶わなかった。せめて、天使的未来人から見て有望な個人だけでも救済される可能性は残されているはずだったが、それも失われた。ゆえに、もはや人類は救済の見込みなしに悪魔的未来人の侵攻を受け、疫病によって殺されるか奴隷化される未来しか残されていない。これが現在の歴史(浅利の言う「今史」)だという。
浅利によれば、今後、天使的未来人が更なる歴史改変を繰り返し、いずれは人類が目覚め、天使的未来人が勝利する歴史が存在するはずだという。これが浅利の言う「来史」である。
かくして浅利は、このような1999年を基軸とする人類救済計画というただ一つの解釈に全ての詩篇を収斂させる読み方は、従来の歴史的事件に各詩篇を対応させる解釈に比べて、まったく新しい説であると自賛している。
ネット上の「浅利幸彦」
以上が2012年までの浅利の著書の大まかな要約だが、ネット上では2013年以降、浅利幸彦自身であると主張する人物のブログ上で、個人救済の可能性がまだあるという説が追加されている。説の内容や状況証拠から浅利本人の可能性は低くないと思われるが、厳密に裏付けられるわけではないので、とりあえず当「大事典」では、ネット上で浅利幸彦を名乗っている人物についてはカギ括弧をつけて 「浅利幸彦」(ないし単に「浅利」) と表記しておく。
悪魔的未来人の到来時期
浅利は1999年までの著書では悪魔的未来人の襲来時期をはっきりと示していなかったが、1999年に 『SPA!』 のインタビューを受けたときには、「2000年には悪魔的未来人が宇宙人としてやってきて、悪魔帝国を作り始めます」と断言していた。
2012年の浅利の著書『
悪魔的未来人「サタン」の超逆襲!』では、「あと数年のうちではないか」「いや、もう明日にでも、今すぐにでも彼らの介入が始まってもおかしくない」などと、かつての雑誌インタビューなどすっかりなかったかのように煽っていた。
浅利ないし「浅利」本人かは不明だが、2ちゃんねるのノストラダムス・予言関連スレッドなどでは、浅利とそっくりの説を振りかざし、2004年に来る、2006年に来る、2009年から2010年に来るなどと、毎年のように今年こそ来ると主張しては、外し続ける者(たち?)がいた。
「浅利」は2009年に来るとか、2013年から2014年に来るのは変えられないと主張したりしたが、実際に期日を過ぎた2014年半ばの時点では、やっぱり2016年から2017年に来ると主張している。
評価
『ムー』1993年2月号には、『セザール・ノストラダムスの超時空最終預言』上下巻の書評が掲載された。そこでは 「衝撃的結論部分は、読者の興味が半減するおそれもあるのでここでは触れないが、従来のノストラダムス関係書とは根本的に異なる本だ」とされていた。なお、翌月号にはこの本の全面広告が掲載されている。
SF作家の
山本弘は「どっちかっつーと、SF小説として書いたほうが良かったんじゃないかという気もするが」と評していた。ちなみに、山本の星雲賞受賞作品 『去年はいい年になるだろう』 に登場する「デーモン的未来人」がどうのと主張する解釈者は、おそらく浅利がモデルになっているものと思われる。
浅利が出演したこともあるテレビ番組『TVタックル』の司会を務めるビートたけし (北野武) は、当時の 『週刊ポスト』 の連載で、
「いろんなやつがいろんなことをいってるけど、一番笑っちゃうのは『2億人の悪魔的宇宙人が攻めてくる』というやつでさ。
本当にそうなら、一度でいいから冥土のみやげに2億人の宇宙人というのを見てみたいもんだぜっての」
と評していた。
コメント
浅利の説はノストラダムス解釈としての説得力を全く持っていない。彼の主張によれば、元史・前史・今史・来史の4つがノストラダムスの予言の中に混在していることと、ノストラダムスの予言詩は聖書と密接に結びつけて初めてその真意が分かるということは、
アンリ2世への手紙の次の一節に明記されているという。
「このように述べてまいりましたが、陛下、私はこの談話で、関係ある当事者に対して、事件のすべての時を予言して混乱させているのであります。それは来たるべき時のために不明りょうにしてあるからです。正確に記述するとなれば、私がやっておりますように、天文学と聖書に従って正すことになりましょう」
これは
大乗和子の訳だが、省略が多い上に明らかに誤っている。信頼できる海外の論者の読み方も参考にして訳し直せば、以下の通りである(訳に関する細かい問題はこのページでは扱わない。姉妹サイトのコンテンツ「
アンリ2世への手紙・全訳注」を参照のこと)。
「陛下、このような次第でして、私はこの言説を通じてこれらの予言をあらかた混乱させています。それらの到来がいつ起こりうるのかも(混乱させているの)です。以下に続ける年代の列挙についても、上で述べたこととは全く、或いはほぼ全く一致していません。それは天文学的手法と同じく他の手法にも拠っており、微塵も誤っていようはずがない聖書さえも用いています」(第87-89節前半)
浅利がお気に入りの「すべての時」という語は原文にない。代わりに存在している「以下に続ける年代の列挙」とは、第91節から始まるノアやアブラハムの年代についてを指しており、その年代算定には、第22-29節で述べた聖書年代と一致しないものを含んでいる。
要するに、ノストラダムスは
アンリ2世への手紙で、聖書に登場する出来事の年代推定を2種類語っていることについて、それは意図的なものだと釈明しているに過ぎない。自身の予言詩について述べた箇所ではないし、ここからタイム・マシンを使って改変された複数の歴史が混在しているなどとこじつけるのは飛躍しすぎだろう。また、「聖書」にしても、聖書年代の算定に使っていると述べているに過ぎない。
むしろ逆に、アンリ2世への手紙には、歴史が一本線でしかないことを明言している箇所もある。
「私は現下の予言を計算・算定してまいりましたが、全てはその(時代の)転回を含む鎖の順序に従っています。また、全ては天文学的な学説によるもので、私の生来の天賦に従っています。」(第103節)
ノストラダムスは百詩篇においても、歴史の流れを鎖にたとえている。そして、この「転回」も「鎖の順序」も単数形である。浅利が言うような改変された複数の歴史が予言の中に万一混在しているのならば、当然複数形でなければならないだろう (ちなみに、前出の「年代の列挙」が万一、聖書年代の記述のことでないとしても、それもまた単数形である)。
同様に、ノストラダムスの予言が多義構文であるという浅利の主張に、真っ向から反する記述も見られる。
「おお、この上もなく麗らかなる国王陛下。ところで、この時代の不正義が、何らかの隠しておくべき諸事件は謎めいた章句でしか開示されないようにと、要請しているのです。その章句は唯一の意味を持つ一通りの理解しかできないもので、両義性や曖昧な算定はそこには何一つ入り込んでおりません」(第32節)
これに対して、ネット上の「浅利」は原文からかけ離れた反論を展開したが、話にならない。
さらに、当然浅利の歴史観からすれば、予言された時点から見た未来は変えられることになるし、実際に彼はそう主張しているが、ノストラダムスはこれを否定している。浅利がそこで根拠としたものはやはり誤訳が元になっており、実際には以下のようなものである。
「『未来に関することで、確定した真実などない』と言われは致しますが、(その算定したことは)時の流れの中においてあらゆる地方で、まさに余計なものを何一つ加えることなく書き記した通りに、全てが成就したと認識されるでしょう」(第14節・抜粋)
見てのとおり、未来が改変される可能性を全否定している。しかも、この「時の流れ」も単数で、浅利が言うところの「今史」以外が存在しないこと、万一存在するとしてもそれらについての予言など一切含まれていないことが明らかである (もし「今史」以外の予言が含まれているのなら、我々のいるこの「時の流れ」で「全てが成就」するのを見られなくなってしまうため)。
お分かりだろうか。浅利の説の基本をなしているはずの諸概念は、ノストラダムス自身の作品とことごとく矛盾しているのである。
なお、蛇足になるが、未来人から与えられる前には宗教が一切存在せず、物質文明のみが発達したという設定は、あまりにも無理がありすぎる。精神文化との結びつきを示す儀式は現生人類が出現する以前のヒトにも見られた可能性があるという古人類学者の仮説すらある通り、未来人から与えられない限り物質文明しか持てなかったなどというのは、古代人を舐めすぎだろう。
十字軍、宗教改革など、世界史上の重大事件の根幹に宗教が関わった例など枚挙に暇がないし、ヨーロッパにおける機械時計の発達にしても、礼拝の正確な時を知りたいという欲求に裏打ちされていたことは広く知られている。化学の発展を準備した錬金術にしても、その背景にあったのはヘルメス・トリスメギストスなどとも結びつく宗教的な神秘思想であった。さらに、社会学者ヴェーバーの古典『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で示されたように、近代資本主義の勃興はプロテスタンティズムが準備したという見解もある。浅利は歴史に宗教が追加されることによる変化を、単に町に宗教建築物が見られ、宗教画や宗教音楽が現れるようになったとしか認識していないようだが、技術史・産業史へのインパクトがまったく考慮されていない。人類の歴史から宗教を取り去っても、今と同じか今より優れた高度な技術や産業社会が存在しているとは到底考えられないし、現代までに蓄積された歴史学の諸研究に照らすと、彼の歴史観はプリミティヴすぎるように思われる。
さらに蛇足だが、浅利も「浅利」も、天使的未来人と精神的な波長が同調していると主張している。さて、『
悪魔的未来人「サタン」の超逆襲!』において、当「大事典」の管理者は、姉妹サイトで公表した文章やウィキペディアに投稿した文章を、著作権法やウィキペディアのライセンスに照らして不適切な形で利用された。これを指摘した当「大事典」に対する「浅利」の対応はというと、本名を名乗らず挑発的なアカウント名によって、当「大事典」のコメント欄などを荒らすというものだった。「慈悲深い」 はずの天使的未来人と波長が同調すると、不適切な行為を指摘されたことに対し、黙殺するどころか、荒らしを仕掛けたくなるものらしい。
また、当「大事典」の関連ブログ(
ノストラダムスの大事典 編集雑記)から、やはり引用の要件を満たさずに「浅利」が文章を転載していることについて指摘したところ、「気持ち悪いクレームを付けられた」などとほとんど逆切れといってよい反応を返してきたこともある。
ああした振る舞いを「天使的」と評することができるのならば、5ちゃんねる辺りは天使の巣窟ということになるのだろう。随分とイヤな天使もあったものだと苦笑させられる。
付記
当「大事典」では、各論者の解釈に対するコメントは、通常、それぞれの予言詩の記事などで個別に行うか、姉妹サイトに専用のコーナーを作って詳しく論ずるのだが、浅利説については各予言詩の記事で扱うには特殊すぎる一方、著者自身が繰り返して嘆いていたほど、どの本も売れなかったらしく、影響力はあまり大きくないと考えられるので、あえてこのように人物記事に集約させる形をとった。
外部リンク
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コメントらん
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- 艱難前に天使の宇宙船に乗らねばならないと言うのに。最近の彼は『封じた予言』を許して自己理論を放棄しかけたり、原理主義組織に危険を感じると述べたり、とても天使に同調して守護されている義人だとは思えない発言を繰り出している。彼は詐欺師の冠を手にせず、彼の道に立ち帰り、振り向かず強く歩みを進め、彼の願いが天使に届き成就することを祈ります。 -- れもん (2015-11-17 17:20:59)
最終更新:2015年11月17日 17:20