詩百篇第11巻91番


原文

Meysnier1, Manthi2, & le tiers qui viendra
Peste3 & nouueau insult, enclos troubler:
Aix & les lieux fureur dedans4 mordra5.
Puis6 les Phocens7 viendront leur mal doubler.

異文

(1) Meysnier : Meysinier 1667Wi 1668 1672Ga 1689Ou 1689PA 1689Ma 1689Be 1691AB HCR
(2) Manthi : Mauthi 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Le 1650Ri 1653AB, Mauth 1665Ba 1697Vi 1698L 1720To, Manthy 1780MN, Manthis HCR
(3) Peste : Pest 1667Wi 1668 1689Ma 1689Ou 1689Be 1691AB
(4) dedans : Dedas 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1691AB 1697Vi 1698L 1720To
(5) mordra : Mordra 1653AB 1665Ba 1691AB 1697Vi 1698L 1720To
(6) Puis : Pius 1605sn 1649Xa
(7) Phocens 1594JF 1605sn 1628dR 1649Ca 1649Xa 1672Ga : Phociens 1611 & T.A.Eds.

(注記)1689Voの伝本のうち、リヨン市立図書館の伝本では Mauthi が Mauthî と綴られている。

校訂

 まともに取り扱われることが少ない分、校訂の例も見当たらないのだが、2行目の前半律(最初の4音節)が nouveau までで少々不自然なことと、nouveau は直後が母音なので nouvel とするほうが自然であろう、という2点をとりあえず指摘しておきたい。

日本語訳

メニエ、マンチ、そして第三の者が来るだろう、
ペスト、新たな騒乱、囚人たちを妨害するために。
エクスとその一帯、その内部を憤怒が侵食するだろう。
そして、フォカエア人が彼らの災禍を倍加させに来るであろう。

訳について

 1行目はMeysnier, Manthiの2語が謎めいた単語のように扱われてきたが、初出のジャン=エメ・ド・シャヴィニーの読みを踏まえ、人名と解釈した。qui viendra は活用形からすれば、「第三(の者)」のみを受けている。しかし、こういう場合にノストラダムスが直近の名詞に引きずられ、異なる活用形を使う事例があることはピエール・ブランダムールらも指摘しているので、メニエやマンチを受けているようにも読めるようにした。
 2行目の enclos はエドガー・レオニが enclosure と英訳しているように「囲い込み」の意味もあるが、中期フランス語では「囚人、捕虜」(prisonnier)の意味もあった*1

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 2行目 「疫病と新しい侮辱がかれらを苦しめ」*2は、ヘンリー・C・ロバーツの英訳をほぼそのまま点訳したものだが、ペストと新しい侮辱を主部と解釈することも可能ではあるが、enclos が訳に反映されていない。ロバーツ訳の元になったテオフィル・ド・ガランシエール訳では enclosed があったのだが、なぜかロバーツはこれを省いている。
 なお、(動詞が不定法になってしまうが)2行目を主部・述部とし、1行目を目的語に理解すること自体はできなくもない(「メニエ、マンチ、来たるべき第三の者を、ペスト、新たな騒乱、囚人が悩ませる」)。そして、普通「ペストを妨げる」よりも、「ペストに妨げられる」方が自然にも思える。しかし、ここでは、後述のジャン=エメ・ド・シャヴィニーの解釈を踏まえて、メニエらが騒乱を妨げる(抑える)側と読んだ。

信奉者側の解釈

 第11巻の2篇は1594年にジャン=エメ・ド・シャヴィニーが初めて公開した。彼はその際に「メニエ」をオペード男爵ジャン・メニエ(Jean Meysnier/Maynier, Baron d’Oppède)、「マンチ」を老タンド公の代理人マンチ殿(Le Sieur de Manthi, Lieutenant du vieil Comte de Tende)とし、初代エクス高等法院長ジャン・メニエが行ったヴァルド派に対する虐殺事件(1545年)や1562年に高等法院でプロテスタントが説教を行ったこと、さらに1588年の政治状況などと結び付けた*3

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、ペストに脅かされる個人名が含まれるしとしたので、メニエとマンチを人名と見なしたのだろうが、詳しい解説はしていなかった。

 ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)は、エクスでのペスト流行などについてと解釈したが、メニエとマンチについては解説しなかった((Roberts (1947)[1949])。

 ジョン・ホーグ(1997年)はこの詩を第二次世界大戦と結び付け、メニエとマンチはともにフランスのレジスタンス運動に参加した人物の名前ではないかとした*4。ただし、そのような人物を特定できているわけではなく、現在から未来にかけてのマルセイユのマフィアの名前など、他の属性の人物の名前の可能性も挙げていた。

同時代的な視点

 第11巻と第12巻の詩をノストラダムスが書いたという確たる証拠はなく、ジャン=エメ・ド・シャヴィニーによる偽作の可能性も疑われている。
 メニエとマンチを人名とし、当時の情勢と結びつけたシャヴィニーの解釈は十分によく当てはまっているといえるが、逆にそれらの事件を基にして、この詩が偽造された可能性も示すものである。

その他

 1780MN では六行詩集からの通しで番号が振られている都合で、59番になっている。


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