百詩篇第3巻11番

原文

Les armes1 batre au ciel2 longue saison,
L'arbre3 au milieu de la cité4 tumbé5:
Vermine6, rongne7, glaiue8 en face tyson,
Lors le monarque9 d'Hadrie10 succombé.

異文

(1) armes : Armées 1672
(2) ciel : Ciel 1672 1712Guy 1716 1772Ri
(3) L'arbre : L'Arbre 1672
(4) cité : Cité 1672 1712Guy
(5) tumbé 1555 1627 1840 : tombé T.A.Eds.(sauf : tombe 1665)
(6) Vermine : Verbine 1568 1590Ro 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1660 1716 1772Ri
(7) rongne : Rogne 1672
(8) glaiue : Glaive 1672
(9) monarque : Monarque 1557B 1605 1611 1628 1644 1649Ca 1649Xa 1650Le 1653 1660 1665 1668 1672 1712Guy 1772Ri
(10) d'Hadrie : d'Adrie 1644 1650Ri 1653 1665 1672

日本語訳

武器が長期にわたり空で音を立てる。
都市の中心で木が倒される。
害虫、疥癬、剣、燃えさしが面前に。
アドリアの君主が倒されるときに。

訳について

 saison は現代語では「季節」の意味だが、中期フランス語では一定の期間を指す表現で*1、longue saison は長期間を指す成句である*2
 Vermine は害獣とも害虫とも訳せる。どちらがより妥当と見るかは論者によって異なる。
rongne は現代フランス語の rogne (疥癬)と同じ意味で、綴りの揺れに過ぎない*3ピエール・ブランダムールはそう読む一方で、動詞 rogner (齧る)の活用形 rogne と見れば「害獣が剣を齧る」という読み方もできることを示している*4高田勇伊藤進訳でもその2つの可能性は示されているが、詩そのものはひとまず「疥癬」とする読みが採られているので、ここでもそれに従った。

 大乗訳1行目「軍がしばらく空中で戦い」*5は細かい点で誤訳だろう。軍(armée)と武器(armes)は別物である。上の「異文」の節にあるように、テオフィル・ド・ガランシエールは Armées と改変したから彼の場合はそれで問題なかったのだが、ヘンリー・C・ロバーツは armes に戻していたので不適切であろう。一応、armes には複数形としては「軍職、軍隊」の意味などもあるが、以下の理由とも絡めれば、文脈に適合する訳とはいえないだろう。
 battre は英語の battle と異なり、基本的には「打つ、音を出す」の意味である(se battre なら「互いに打つ → 戦う」の意味になる)。ジャン=ポール・クレベールのようにこの場合の battre を combattre (戦う)と同一視するものもいるので誤りとはいえないが、素直に読むならば高田勇伊藤進が「武器が打ち響き」*6と訳しているように、剣と剣がぶつかり合ったりする音が空から響き渡ることの描写だろう。
 なお、五島勉訳1行目「多くの軍が長いあいだ空で戦う」*7は、「多くの」などという原文にない言葉を付け足しているため、さらに問題がある。
 大乗訳3行目「害鳥 かさぶた 剣 燃えさしが顔に」は rongne を「かさぶた」と訳すのが微妙である。ヘンリー・C・ロバーツの英訳で scabs とあったことによる転訳が招いた誤訳だろう。五島訳3行目「かさぶたの顔には虫と剣と焼けた棒」は、語順の組み換えを正当化しうる根拠に乏しい。
 大乗訳4行目「ベニスの君主がたおれるときに」で、Hadrie を「ベニス」(ヴェネツィア)と訳すのはロバーツの英訳に従ったものだが、解釈をまじえた訳である。

 山根訳3行目「聖なる枝が切られ 剣はティゾンに立ち向かう」*8は、 Verbineを採用した上でいくつかを強引に訳せばそう読めないこともないが、不適切だろう。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、最後の行の出来事、つまりヴェネツィアの公爵の死もしくは政体の崩壊に先立って、最初の3行に描かれているような様々な驚異(未作成)が(凶兆として)起こることと解釈した*9

 バルタザール・ギノーはアンリ4世の暗殺(1610年)と解釈した。アンリ4世が殺されたときには様々な凶兆があったと噂に上った。
 1行目はその一つである『メルキュール・フランセ』紙(1619年)に載ったアングレーム(アンリ4世を殺したラヴァイヤックの出身地)での驚異とした。ギノーが引用しているその記事に拠れば、事件前のある晴れた日、突然たくさんの雲が群生して地上に降り立ち、青い鎧をまとった1万人以上の軍人たちに変化したという。この軍隊は立派な身なりの隊長のもとに整然と並んで行進し、森に入ると消えたとされる。
 2行目は「五月樹」(arbre de mai, 表敬する相手の家の前に立てて祝う木)のことで、ルーヴル宮でも1610年5月に五月樹が立てられたが、その敬意を捧げられた当人であるアンリ4世が同じ5月に暗殺されたことを表現しているとした。
 3行目の「害獣(害虫)、疥癬」はアンリ4世の死因に関わるもので、「面前に剣」は刃物で刺されたことを指すとした。「燃えさし」は驚異の一種で、暗殺前の昼間に流星が目撃されたことだという。
 4行目はそのままで偉大なハドリアヌス(grand Hadrie)はアンリ大王(Henri le grand)のことだとした*10

 ウジェーヌ・バレストはギノーの解釈をそのまま踏襲した*11。それ以外では、20世紀に入るまで解釈は見られない。

 20世紀に入ると、ジェイムズ・レイヴァーエリカ・チータムらのようにギノーの解釈を踏襲する者たち*12のほか、以下のような解釈が生まれた。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1939年)やアンドレ・ラモン(1943年)は2行目の arbre (木)を「十字架」と解釈し、近未来に起こるローマ教会の権威の失墜とファシスト党独裁の終焉と解釈した*13

 イタリアの敗戦以後は、ムッソリーニの処刑と解釈する者たちも出てきた。
 五島勉はムッソリーニが車から引きずり出されてひどい私刑に遭い、死後も死体が市中に晒されたままになっていた状況に合致するとした*14飛鳥昭雄もムッソリーニの死とする解釈を踏襲した*15

 加治木義博は1991年から1995年に起こると想定していた欧州大戦で、イスラーム勢力によるイタリア各地への空襲の後に、イタリアが降伏するときの様子と解釈した*16

同時代的な視点

 高田勇伊藤進はガランシエール同様、前3行は4行目の出来事を告げる驚異と理解している*17。当時、何もない空から武器の打ち合う音が聞こえたという類の驚異はありふれたものであり、この読み方は基本線として妥当なものと思われる。

 4行目(あるいは3、4行目)は漠然としているが、モデルを見出そうとする試みもある。

 ロジェ・プレヴォは1521年の出来事がモデルになっていると推測した。
 この年は蝗害(イナゴの害)や伝染病がひどかった年のひとつであった。また、公現祭の祝日に行われた模擬戦闘では、燃えさしが顔に当たったせいで国王フランソワ1世が火傷を負った。また、この年にローマでは教皇レオ10世が歿した。
 木が倒れるという予言は、同時代のギヨーム・ポステルの『世界預言宝殿』にも見出せる。その場合の木は、樫の木を家紋としていたデッラ・ロヴェレ家出身の教皇ユリウス2世(1513年歿)のことだろうという*18
 プレヴォは詳述していないが、ピーター・ラメジャラーはこの詩に出てくる「木が倒れる」という表現について、メディチ家出身だったレオ10世をデッラ・ロヴェレ家出身と勘違いしたものでないかとした*19


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コメントらん
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  • ローズベルトの最初の韻は"薔薇"、すなわち、樹木は彼をさす暗号。ムッソリーニと同じ年月に死んだ。1行は米空軍による戦闘。3行はアナグラムや象徴などでヤルタ会談の三人を表している。(が、ここでは省略) -- とある信奉者 (2010-09-18 21:54:24)
最終更新:2010年09月18日 21:54

*1 DMF

*2 Brind’Amour [1996]

*3 DMF p.560

*4 Brind’Amour [1996] p. 352

*5 大乗 [1975] p.100

*6 高田・伊藤 [1999] p.226

*7 五島『ノストラダムスの大予言』p.95

*8 山根 [1988] p.120

*9 Garencieres [1672]

*10 Guynaud [1712] pp.149-153

*11 Bareste [1840] pp.497-498

*12 Cheetham [1973], レイヴァー [1999] p.154

*13 Fontbrune [1939] p.218, Lamont [1943] pp.269-270

*14 五島 [1973] pp.95-96

*15 あすか『1999ノストラダムスの大真実・完全版』p.35

*16 加治木『人類最終戦争・第三次欧州大戦』p.173

*17 高田・伊藤 [1999]

*18 Prevost [1999] pp.232-233

*19 Lemesurier [2003b]