百詩篇第5巻98番

原文

A quarante huict1 degré2 climaterique3,
A fin4 de Cancer5 si grande seicheresse6:
Poisson en mer, fleuue, lac7 cuit hectique8,
Bearn9, Bigorre10, par feu ciel11 en destresse12.

異文

(1) A quarante huict : A quarante-huict 1644 1649Ca 1650Le 1653 1665 1668, A quarante huïct 1588Rf, Quarante huict 1611B
(2) degré : degreé 1627
(3) climaterique : climareticque 1588-89, Climacterique 1672
(4) A fin : Afin 1589Rg 1589Me 1605 1611 1628 1649Ca 1649Xa 1660 1665 1668 1840
(5) Cancer : cancer 1665
(6) seicheresse : secheresse 1650Le 1672
(7) mer, fleuue, lac : Mer, Fleuve, Lac 1672
(8) hectique : hestique 1605, hectisiue 1588R 1589R
(9) Bearn, : Bearn. 1644 1650Ri 1668P, Biarn. 1653 1665
(10) Bigorre : Bigote 1588-89, Bigorro 1590Ro
(11) ciel : Ciel 1672 1840
(12) destresse 1557U 1568 1590Ro 1660 1772Ri : detresse T.A.Eds.

日本語訳

緯度の四十八度にて、
巨蟹宮の終わりに非常に大きな旱魃が。
海、川、湖の魚は熱せられて痩せ衰える。
ベアルン、ビゴールは天の火により苦境に陥る。

訳について

 大乗訳1行目「危険が四十八回もあり」*1は誤訳。degré は度数を表す表現であって回数を表すものではない。また、climacterique は年齢について使う場合には「厄年」の意味になり、信奉者の中にはヴライク・イオネスクのようにそちらの意味にとる者もいるが、ジャン=ポール・クレベールは、この場合、単なる「緯度」に過ぎないとしている。ピーター・ラメジャラーも緯度として訳している。
 同4行目はベアルン、ビゴールを「豆とビゴレ」と訳し、ビゴレに「植民地の砲兵の意味」と注記しているのが明らかに不適切。Bearn を豆としたのは英語の Beans と取り違えたものかもしれない。Bigorre が「植民地の砲兵」というのもよく分からないが、フランスの俗語に Bigor (海兵隊の兵士・砲手)というのがあるので*2、それと結びつけたものかもしれない。

 山根訳は訳語がやや大仰に見える箇所はあるが、おおむね問題はない。3行目「海の魚 河川湖沼ことごとく焦熱地獄」も、訳語の大仰さはともかく、区切り方によっては可能な読み方ではある。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは「ベアルンとビゴールはフランスにある2つの地方で、残りは平易である」としか述べていなかった*3
 それ以降、20世紀に入るまで解釈する者はいなかったようである。少なくとも、バルタザール・ギノーテオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードらの解釈書では触れられていない。

 藤島啓章は、北緯48度線上には世界の主要な穀倉地帯が存在しており、それらが大旱魃や大熱波に見舞われる予言とした。その時期は不明としつつも、詩番号から1998年7月の可能性があるとも述べていた*4

 ヴライク・イオネスクは示されている緯度48度に対して、ベアルンとビゴールが北緯43度にあることからこれらを暗号とし、この詩は旧ソ連の核汚染についての予言だったとした。
イオネスクはベアルン(Bearn)はバレンツ海(Baren(ts))のアナグラム、ビゴールは「二つの山」を意味するロシア語との言葉遊びで、カザフスタンの北緯48度付近の2つの山を指しているとした。その上でこの詩は、旧ソ連でチェルノブイリ以外にもあったとされる非公表の核関連事故の数々を、地理的範囲とともに示していると解釈した*5

同時代的な視点

 ピエール・ブランダムールはこの場合の巨蟹宮は星位ではなく単に時期を示したに過ぎないとし、百詩篇第2巻3番や暦書の複数の記述の中に、魚が焦熱に殺される描写があることを指摘した*6
 ジャン=ポール・クレベールピーター・ラメジャラーも第2巻3番を引き合いに出している。ラメジャラーの場合は『ミラビリス・リベル』の中に次のような予言があることとも関連付けている。
「異常な旱魃のせいで河川の水すらも干上がってしまうだろう。山がちな国々では水不足から家畜たちも獣たちも死ぬ。多くの場所で土地が燃え上がり、熱は激しい。魚たちは自らを食い尽くし、死に絶えるだろう」*7

 ロジェ・プレヴォは「巨蟹宮の終わり」を7月半ばとし、1562年のその頃にフランス(北緯48度線を含む国)が大旱魃に見舞われたことと関連付けた*8。しかし、この詩は1557年版に登場していたので、事後的にモデルにしたと見ることはできない。


名前:
コメント:
最終更新:2010年07月25日 13:57

*1 大乗 [1975] p.173

*2 『仏和大辞典』、『フランス俗語辞典』

*3 Garencieres [1672] p.231

*4 藤島 [1989] pp.101-104

*5 イオネスク [1993] pp.99-112

*6 Brind’Amour [1993] p.265, Brind’Amour [1996] pp.200-201

*7 Lemesurier [2003b] p.48で英訳されたものを孫引き。

*8 Prévost [1999] p.131