ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1665年リヨン)

 1644年頃から1665年頃にかけて、リヨンでは様々な出版・印刷業者達が『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』を刊行した。ジャン・バラン(未作成)クロード・ラ・リヴィエールが1665年に出版した版は、その中でも最も遅い時期のものと推測されている。

【画像】業者名の記載されていない第一部の扉(左)、バランによる第二部の扉(右)*1

正式名

第一部
  • LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS,
    • Dont il y en a trois cens qui n'ont iamais esté imprimées. Adjoustées de nouueau par ledit Autheur.
    • A LYON. M.DC.LXV.
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集。
    • 前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。
    • リヨンにて。1665年。

第二部
  • LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.
    • Centuries VIII. IX. X. Qui n'ont encores iamais esté imprimées.
    • A LYON. Chez IEAN BALAM, Impr. ruë Merciere, à la bonne Conduite. M.DC.LXV.
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集。
    • 未刊であった百詩篇第八・九・十巻。
    • リヨン、メルシエール通りの印刷業者、「良い導き」(の旗印をもつ)ジャン・バランの工房にて。1665年。

 扉に使われている木版画は、1644年リヨン版などに似ているが、顔つきが明らかに別のものになっている。
 第一部の扉に刊行者は記載されていないが、この人物に関する推測などは過去に行われていないようである。

内容

 アントワーヌ・ボードランによって出された版をほぼ踏襲している。
 第一部は、第一序文(セザールへの手紙)、百詩篇第1巻から第6巻(ラテン語詩は含むが、補遺篇の百詩篇第6巻100番は含まない)、第7巻(43番44番を含む44篇)の順に収められている。ボードラン版と同じく、第一序文の日付は「1555年」を含まない単なる「3月1日」である。
 第二部は、第二序文(アンリ2世への手紙)、百詩篇第8巻から第10巻(101番を含む)、第11巻(四行詩2篇と六行詩58篇)、第12巻(56番を除く10篇)が収められている。

 原文の特色はアントワーヌ・ボードラン版と酷似しており、それを踏襲したことが明らかだが、ボードラン版以上に単純な誤植と思しき箇所が多い。

刊行年

 第一部・第二部の扉に M.DC.LXV. とあり、これが刊行年と受け止められている。同時に、似たような木版画が使われているリヨンの版の刊行年の下限でもあると受け止められており、それらが1644年から1665年の刊行と推測される根拠にもなっている。

所蔵先

  • モンペリエ市立図書館、ロアンヌ市立図書館、ストラスブールBNU、大英図書館、オーストリア国立図書館、ベルン市立図書館・大学図書館、アウグスタ公立図書館(イタリア、ペルージャ)、プウォツク市立図書館(ポーランド)
  • かつてダニエル・ルソが私蔵していた。また、RAMKATも所有している。

類似の版

 この版と同じ内容を含むとされ、なおかつ1665年と刊行年が明記されている版はあと2つある。

ラ・リヴィエール/バラン

 第一部の住所表示が
  • A LYON. Chez CLAVDE LA RIVIERE, ruë Merciere à la Science. M.DC.LXV.
 第二部の住所表示が
  • A LYON. Chez IEAN BALAM, Impr. ruë Merciere, à la bonne Conduite. M.DC.LXV.
となっている。

 ブザンソン市立図書館、シャンベリー市立図書館に所蔵されているほか、かつてはダニエル・ルソも私蔵していた。なお、ミシェル・ショマラはシャンベリーの伝本は第一部の刊行年がM.DC.LX.(1660)になっているとして別に扱っている*2。しかし、ロベール・ブナズラによれば、この伝本の扉、特に刊行年の部分は状態が悪く判読しづらいものであるというので、単に V が欠落して見えるだけの可能性もある。一応、ショマラはシャンベリーの伝本の画像も公開しているが、クリーニングと掠れた文字の修復(ペンで重ね書き)が施されているため、判断が難しい。

【画像】シャンベリーの伝本(左)とブザンソンの伝本(右)*3

ラ・リヴィエール/ラ・リヴィエール

 ロベール・ブナズラによれば、第一部の住所表示が
  • A LYON. Chez CLAUDE LA RIVIERE, ruë Merciere à la Science. M.DC.LXV.
 第二部の住所表示が
  • A LYON. Chez CLAUDE DE LA RIVIERE.
となっているという。クロードを CLAVDE でなく CLAUDE と綴っていることや、名前に DE が入っているかいないかなどはブナズラの紹介のままである*4

 ブリュッセル王立図書館、クレモナBGに現存し、ハーバード大学図書館に第二部のみが現存している*5

派生

 1698年リヨン版は2つの底本を挙げているが、そのうちの1つが1665年版である。1665年のどの版かまでは特定できないが、この記事で最初にとりあげたバランの版と比べる限りでは、原文の特色は確かにかなりよく似ている。


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最終更新:2010年07月26日 22:02

*1 画像の出典:Chomarat [1976] p.12

*2 Chomarat [1989] no.230

*3 画像の出典:Chomarat [1976] pp. 11, 13

*4 Benazra [1990] p.238

*5 Chomarat [1989] no.240