大乗訳の前半は固有名詞の表記とケルト人を「フランス」と訳すことの当否を除けば、構文理解上の問題はない。
3行目「しし座と水瓶座の軍隊で」(*1)はaquileeをどう訳すかの問題。水瓶座(Aquqlius)と結びつけるのは若干強引に思える。
4行目「ローマが古いブリタニアの主たるとき」は誤訳。aura (will have)と sera (will be)は意味が異なる。ヘンリー・C・ロバーツの英訳では When Rome shall have as chief, old Britannia.(*2)となっており、別に問題はない。
エリカ・チータムは、ステュアート家の最後の生き残りであったヨーク枢機卿公(Cardinal-Duke of York)がローマで死んだのが1807年で、ちょうどナポレオンがイタリア全土を征服していた時期と重なっていたことと解釈した(*5)。チータムは明示していないが、これはエドガー・レオニの解釈を踏襲したものである。
セルジュ・ユタンもナポレオンのイタリア征服と解釈した(*6)。