百詩篇第7巻1番

原文

L'ARC 1 du tresor 2 par Achiles 3 deceu 4 ,
Aux procrees 5 sceu la 6 quadrangulaire 7 :
Au faict Royal 8 le comment sera sceu 9 ,
Corps 10 veu pendu au veu 11 du populaire

異文

(1) L'ARC : L'Ac 1557B, L'ac 1620PD, L'Arc 1597 1605 1610 1611B 1627 1644 1649Xa 1649Ca 1650Le 1672 1716, LArc 1628 1668, L'arc 1840
(2) tresor : Thresor 1672
(3) Achiles : Aclilles 1627, Archilles 1653
(4) deceu : deçeu 1568C 1650Ri
(5) procrees 1557U 1557B 1568A 1628 1649Ca 1649Xa : procrées 1568B 1568C 1568I 1590Ro 1605 1650Le 1668, procrez 1597 1611A 1840, procez 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716, progrez 1611B 1660, procréez 1620PD, procées 1672, procreés 1772Ri
(6) sceu la : sçeu la 1568C 1597 1627 1650Ri 1650Le 1665 1668 1840, sceula 1610 1716
(7) quadrangulaire : Quadrangulaire 1672
(8) Royal : royal 1590Ro
(9) sceu : sçeu 1568C 1597 1650Ro 1665 1716 1840
(10) Corps : Cors 1568C 1772Ri
(11) veu : vœu 1644 1650Ri, Sceu 1672

校訂

 ジャン=ポール・クレベールは4行目に2つある veu のうち、1つ目を vu (見られる)と読み、2つ目を vœu (祈り、請願)と読むべきとした。

日本語訳

宝の櫃はアキレスによって欺かれ、
子孫たちには四角いものと認識される。
王家の行為で説明が知られるだろう。
人々の請願で吊るされた体が目撃される。

訳について

 1行目 deceu をジャン=ポール・クレベールは mort (死んだ)と現代語訳し、ピーター・ラメジャラーは文を能動態に書き換えて conceal (隠す)と英訳している。しかし、それらの語学的根拠が今ひとつ不鮮明なため、ここでは LAF や DMF でも一般的な「欺く、騙す」の意味で訳した。
 4行目の2箇所の veu は「校訂」の節で触れたクレベールの読み方に従っている。

 大乗訳1行目「アキレスをだまして宝の弓は」 *1 は誤訳。「アキレスによって騙されて」の部分は受動態である。ただし、arc を「弓」と訳すのは直訳としてはむしろ正しい。当「大事典」ではラメジャラーの読みに従い、archeと同一視している。ロジェ・プレヴォのようにアーチ状建造物と読むことも可能である。
 同2行目「方形の繁栄をまし」も誤訳。ヘンリー・C・ロバーツの英訳 Shall show to posterity the quadrangle *2 の posterity を prosperity と見間違えた上で構文を取り違えたものであろう。

 山根訳は2行目「生殖者に知られた四辺形」 *3 が不適切。procrees は procréer (生む)の受動態に基づく名詞で「生まれた者」を意味するからである。この場合は、転じて「後に生まれた者」つまり「子孫、末裔」の意味である *4

信奉者側の見解

 匿名の注釈書『百詩篇集に関する小論あるいは注釈』(1620年)では、ルイ13世が親政を開始するにあたり、宮廷で影響力を持っていた重臣コンチーニを暗殺し、遺体が市中に晒されたこと(1617年)と解釈されている *5 。なお、この解釈で採用されていた冒頭の異文 L'ac はラテン語 acceptor に由来する「継承者」を意味する語とされた。
 テオフィル・ド・ガランシエールはコンチーニとする解釈をさらに膨らませ、L'Arc はアンクル元帥(Marchal of Ancre)ことコンチーニで、Achilles は神話のアキレスではなく当時のパリ高等法院長アシル・ド・アルレー(Achilles de Harlay)とした。専横に振舞っていたコンチーニに対し、その汚職について最初に抗議したのがアシルであったという。コンチーニは国王の命でルーヴル宮の中庭(quadrangle)にて射殺された *6

 その後、20世紀後半まで解釈は途絶えたようである。少なくとも、バルタザール・ギノーテオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードらの解釈書では触れられていない。

 スチュワート・ロッブはガランシエールの解釈を継承し、コンチーニの死と解釈した。彼はアンクル元帥のアンクル(Ancre)がフランス語で「錨」の意味であることから、「弓形」(arc)はそれに対応しているとした。ジョン・ホーグはロッブの解釈を紹介しつつ、詩番号の7巻1番は事件の年1617年の下二桁に対応しているとした *7

 エリカ・チータムは、アシルといえば、コンチーニの失脚に関わったアシル・ド・アルレーと、19世紀フランスの元帥アシル・バゼーヌ(Achilles Bazaine)の二人が歴史上有名だと指摘していたが、この指摘はエドガー・レオニの指摘をそのまま流用したものである *8
 チータムは後に魔術的な詩ではないかとする見解を追記した。カトリーヌ・ド・メディシスの求めに応じて、ノストラダムスがアキレスの霊を呼び出す儀式をしたことがあったのではないかという *9

 セルジュ・ユタンはムッソリーニが処刑された後に吊るされたこととした *10

同時代的な視点

 ロジェ・プレヴォは、グラヌム(未作成)の遺跡が基になっていると指摘した。
 プレヴォは前半をグラヌム遺跡の凱旋門(arc)と死者記念塔とし、それらが父祖の功績を称えて子ども達が建造したものであることを示しているとした。記念塔の西側のレリーフには英雄の死が描かれており、この英雄はアキレスないしその友人のパトロクロスとされている。かつては、その記念塔の下に黄金のヤギ(Chèvre d'Or)が守る財宝が隠されているという伝説があったらしい。「四角いもの」はレリーフの刻まれた記念塔の台座部分を指すという。
 後半はプロヴァンスにおいてアンボワーズの王令が反発をもたらし、殺害されたプロテスタントが多数吊るされたこととした *11
 前半は非常に説得的で、ピーター・ラメジャラーブリューノ・プテ=ジラールジャン=ポール・クレベールらも支持している。しかし、1557年に発表されたこの詩がアンボワーズの王令(1563年)を下敷きにしていたとする後半の解釈は、年代的に整合しているとは言いがたい。
 ラメジャラーは後半をより一般的に解釈し、王の命令で多数のプロテスタントが吊るされる事態が、前半で言われている宝が発見される予兆となることとした *12

 クレベールは3行目の le fait Royal を切妻壁(fronton)、comment を碑文についての言及とし、procees はアウグストゥスの孫二人に同定しうるとした。
 ただし、死者記念塔の碑文がアウグストゥスの孫二人に関するものだとする見解は当時知られておらず、ノストラダムスも誤って理解していたことがしばしば指摘されている *13 。現在の正しい碑文の読み方をこの詩に持ち込むことは、妥当なものとは言いがたいように思われる。

 いずれにしても、この詩がグラヌムの死者記念塔を題材のひとつとした可能性は、十分に高いといえるのではないだろうか。

【画像】グラヌムの死者記念塔(左)と凱旋門(右) *14


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