アントワーヌ・ヴォラン

 アントワーヌ・ヴォラン(Antoine Volant)は16世紀リヨンの出版業者。
 出版業・書肆以外にも芸術方面に才能を発揮し、1545年から1573年までの間に、彫刻家(tailleur d'histoires*1)、画家、ドミノチエ(dominotier*2)などの職業も経験していた。

 1561年からは出版業者のトマ・ド・ストラトン(Thomas de Straton)と親しくなり、共同事業なども行った。1564年にリヨンでペストが流行したときには、ヴォランは子ども2人の後見人にストラトンを指名したほどに信頼していたが、皮肉にもそのペスト流行時にストラトンが病没してしまった*3

ノストラダムス関連

 1555年に『化粧品とジャム論』の初版を出版し、1556年と1560年に再版した。
 暦書の共同出版も行い、ジャン・ブロトーと共同で
を出版し、ピエール・ブロトーと共同で
を出版した。


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最終更新:2010年08月29日 12:57

*1 この成句は現代フランス語には残っていないが、DMFに載っている。

*2 dominotier は『仏和大辞典』には「千代紙製造業者」「初期の木版画師」「ドミノ表面の彫り師」などの意味が載っている。DMF には「版画師・版画商」「ドミノの持ち手」(porteur de domino)とある。この場合、そのどれなのかは特定できない。

*3 以上は Guillot [1985] p.44. 大元の出典はアンリ・ボードリエジュリヤン・ボードリエの手稿だという。