百詩篇第4巻15番


原文

D'ou 1 pensera 2 faire venir famine,
De la 3 viendra le ressasiement 4 :
L'oeil de la mer 5 par auare canine
Pour de l'vn l'autre donrra 6 huyle 7 , froment 8 .

異文

(1) D'ou 1555 1557U 1557B 1568A 1568B 1568C 1590Ro 1627 1840 : D'où T.A.Eds. (sauf : Dou 1605, Doù 1611B)
(2) pensera : penser 1588-89
(3) De la 1555 1557U 1557B 1568A 1568B 1568I 1590Ro 1840 : De là T.A.Eds. (sauf: De l'à 1605 1628)
(4) le ressasiement 1555 1557U 1568 1590Ro 1840 : le rassasiement T.A.Eds. (sauf : se rassasiement 1600 1610, se ressasiement 1716)
(5) mer : Mer 1672
(6) donrra : dourra 1644 1653, doura 1665
(7) huyle : Huile 1672
(8) froment : Froment 1672

(注記1)1589Rg は比較せず。
(注記2)1627 の3行目は L'oeil de l'vn l'autre doura huyle froment. となっている。おそらく植字工が3行目と4行目の de を読み間違えたのだろうが、2行分ほぼ同じ詩句が並んだにもかかわらず、誤りに気付かれることなく印刷されてしまったあたり、1627の誤植の多さを裏付けるいい加減さが窺える。

校訂

 ピエール・ブランダムールは D'ou を D'où、De la を De là とした。これはジャン=ポール・クレベールなども同じである。実際、そう読まないと意味が通じない。
 3行目の ressasiement は rassasiement の方が適切だし、ブランダムールは釈義でそう綴っているが、特に校訂していない。当時許容される綴りの揺れだったのだろうか。

日本語訳

飢餓を到来させると思うであろう場所、
そこから飽満が来るだろう。
海の目は犬のような貪欲さで、
何でもかんでも油や小麦と交換するだろう。 

訳について

 2行目はジャン=ポール・クレベールの釈義では「反対にそこから飽満が来るだろう」と、「反対に」(au contraire)が補われている。確かにその方が意味は理解しやすい。
 3行目「犬のような貪欲さ」は直訳したものだが、ピエール・ブランダムールによれば、「貪欲、吝嗇」(avarice)を意味する慣用表現だという。
 4行目の de l'vn l'autre はブランダムールによれば、当時の慣用表現で「何から何まで」「全てひっくるめて」といった意味だという。

 大乗訳1行目「それで人々は飢餓がやってくると考えた」 *1 は使役の faire が訳されていない。2行目「ほんとうにやってくるだろう」は、rassasiement が全く訳されていない上、「ほんとうに」がどこから来たのか分からない。ちなみにヘンリー・C・ロバーツの英訳は Thence shall come the fullness *2 で別におかしくはない。
 同4行目「油と小麦をたがいに与えるだろう」はロバーツの英訳には近いが、不適切だろう。「一方にも他方にも油と小麦を与えるだろう」なら、そう訳せる可能性はある(クレベールの読みはそれに近い)。しかし、「たがいに与える」ならば、se donra (donnera) となっていなければならない。

 山根訳はおおむねそう訳せないわけではないといえる範囲だろうが、4行目「一方が他方に油と小麦を贈るだろう」 *3 は、上の大乗訳への指摘と同じく不適切。donner は確かに通常「与える」という意味だが、donner...pour... は現代フランス語の辞書にも載っている通り「・・・と交換する」という意味である。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は1601年から1604年に3年3ヶ月にわたって続いたオーステンデの攻囲戦と解釈した *4

 その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、バルタザール・ギノーテオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードの著書には載っていない。

 アンドレ・ラモン(1943年)は第二次世界大戦の様子と解釈し、イギリス海軍が枢軸国側に飢餓をもたらすこととした *5ロルフ・ボズウェル(1943年)は第二次大戦序盤にあたる1940年の戦況と解釈した *6
 ジェイムズ・レイヴァー(1952年)もドイツの海上封鎖の中、アメリカからイギリスへ石油や食糧の支援が行われたこととした。「海の目」はナチスの潜水艦から海上に突き出た潜望鏡だという *7
エリカ・チータム(1973年)はこの解釈を踏襲した *8 。ただし、その日本語版『ノストラダムス全予言』(1988年)では、当時の貿易摩擦を反映してか、日本に対してアメリカやEC諸国が経済制裁を加えようとすることとする原秀人(未作成)の解釈に差し替えられた。

 セルジュ・ユタン(1978年)は、ナチスに占領されていた時期のフランスで行われていた食糧統制が解除されたことと解釈した *9

 五島勉(1979年)は、1999年までに食糧も石油も稀少になり、一部の豊かな食糧生産国と産油国を除いて、世界的な食糧不足や石油不足が起こることと解釈した。「海の目」は海上輸送ルートの安全を確保する潜水艦か何かとした *10

 高橋良典(未作成)(1982年)はユダヤ陰謀論的な世界観に基づき、「海の目」を裏で世界を操る多国籍企業グループと解釈した *11

同時代的な視点

 ピエール・ブランダムールは「海の目」を繁栄している大きな海港都市と解釈した。古来、他を凌駕するきらびやかな都市を「目」と表現することがあるといい、その例として、彼はキケロやジャン・ルメール・ド・ベルジュ(16世紀フランスの詩人)の用例を挙げた。
 その上で詩の情景は、どこかの都市の攻囲戦の際に、兵糧攻めをしている側の中から、都市と通じて交易を行う者が出てくることを描写しているとした *12

 ピーター・ラメジャラーは1536年にフランスとオスマン帝国が同盟を結んだことと、『ミラビリス・リベル』に描かれた将来のアラブ勢力の侵攻およびそれへの反攻が投影されている可能性があるとしていたが、のちには特定性を低め、ある都市の攻囲戦の描写と解釈した *13

 ジャン=ポール・クレベールも攻囲戦のモデルは特定していないが、「海の目」については、ノストラダムス作品で「目」がしばしば君主を指すことから、提督の意味だろうとした。そのほか、16世紀の慣用表現では湖のことも「海の目」と表現したことや、百詩篇第1巻6番では「ラヴェンナの眼」という表現が出ていることから、ラヴェンナの可能性もあることを指摘した。現在と違い、古代ローマ時代のラヴェンナは海に面した軍港として栄えており、「海の見張り番」(vigie de la mer)とも呼ばれていたのだという *14


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  • いつしか、拉致問題を無かったことにされ、非国民や売国奴たちが国賊が北朝鮮を支援し、トップや幹部だけが飽満し、人民は餓死するような状態が続く。尖閣諸島(海の目)を領有権を主張するシナも同じく、かの国を支援し続ける。竹島(同じく、海の目)を不当占拠し続ける犬食い民族の韓国は北朝鮮に対して食料とエネルギーを供給し、神の国の日本に敵対しつづけるだろう。 -- とある信奉者 (2013-03-23 12:53:54)

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