六行詩34番

原文

Princes & Seigneurs 1 tous se feront la guerre,
Cousin germain 2 le frere auec le frere 3 ,
Finy 4 l'Arby 5 de l'heureux de Bourbon 6 ,
De Hierusalem 7 les Princes tant aymables 8 ,
Du fait 9 commis enorme & execrable 10 ,
Se ressentiront 11 sur la bourse sans fond6sup(){12}.

異文

(1) Seigneurs : seigneurs 1600Mo
(2) germain : Germain 1627 1672
(3) le frere auec le frere : le freres auec le frere 1611B, le Frere avec le Frere 1672
(4) Finy : Tiny 1627 1644
(5) l'Arby : labry 1600Au, d'arby 1600Mo
(6) Bourbon : bourbon 1627
(7) De Hierusalem : D'Hierusalem 1600Mo, De Ierusalem 1627
(8) tant aymables : aimables 1672
(9) Du fait : D'vn faict 1600Mo
(10) execrable : execralbe 1611B, execrables 1644
(11) ressentiront : sentiront 1600Mo
(12) fond : fons 1600Au

日本語訳

君主たちと領主たちは互いに皆戦うだろう、
本従兄弟も、兄と弟も。
ブルボンの幸いなる者の調停によって終えられる。
エルサレムの大いに愛されるべき君主たちは、
委託された並外れで忌まわしい事柄によって、
財布の底がなくなったと感じるだろう。

訳について

 2行目 le frere avec le frere はどちらも単数なので、兄弟の誰か一人と兄弟の誰か一人と判断せざるを得ない。そこで、上では「兄と弟も」と訳しておいた。
 3行目 Arbyの扱いは、とりあえず arbitrage (調停、仲裁)もしくはその派生語の語尾音省略と理解し、文脈から par を補った。補わない場合「ブルボンの幸いなる者の調停が終えられる」となる。これを支配の終焉と理解するマリニー・ローズのような読み方もあるが、六行詩がブルボン家に好意的な視点で書かれていることからすれば、受け入れがたい。

 五島勉は『ノストラダムスの大予言V』でこの詩を訳した。それを検討しておこう。
 2行目「ゲルマンのいとこも兄弟どうし戦う」 *1 は、「戦う」が原文にないが、文脈上許容される補完だろう。「ゲルマンのいとこ」は確かにそう訳せないこともないが、cousin germain は「本いとこ」(祖父母のうち、誰か一人が同じ)を意味する成句である。
 3行目「そのときブルボンから現われる最後の審判者」は、不適切。Finy l'Arbyを「最後の審判者」と訳したのだろうが、構文上から言っても強引すぎる。また、l'heureux (幸福な者)が訳にない一方、「現われる」は原文にない。
 4行目「王子たちはエルサレムに愛想よくするが」も不適切。aimable は中期フランス語でも「愛される資格がある」などの意味で *2 、「愛想良くする」などという意味はない。
 5行目「それが重大で呪うべき結果をひきおこす」も「結果をひきおこす」にあたる語が原文にない。
 6行目「底なしのブールスという結末を」は、se ressentir (感じる)が訳にない。boursをカナで「ブールス」と書くのは構わないだろうが、これを引き写した他の日本人信奉者たちの著書に「ブルース」と誤って書かれる原因になった。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、アンリ4世の没後、マリー・ド・メディシスに重用されたアンクル元帥(コンチーニ)が政治を牛耳り、諸侯や領主達の間で戦いが起こったことを予言したと解釈した *3

 匿名の解釈書『暴かれた未来』(1800年)は、フランス革命に関する予言と解釈し、3行目はブルボン家の王朝が途絶えたこととした。「エルサレムの君主たち」は王の兄弟のことで、エルサレム巡礼もした聖王ルイ9世の子孫であることから来た表現だろうとした *4

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ(1980年)は、1999年頃の情勢として、王政復古したフランスでのブルボン王朝の終焉と、イスラエルの経済的な破滅について予言したと解釈した *5

 五島勉(1985年)は、多くの国が乱費によって経済的な破滅を被ることと、フランスが何らかの超兵器をもって、中東から欧州にかけて起こる大戦で重要な役割を果たす予言と解釈していた *6

同時代的な視点

 実証的な研究の蓄積はないので、以下では1600年頃から1605年頃に偽作されたという前提での、当「大事典」の独自見解を参考として示しておく。
 前半が事後予言なのだとしたら、1605年より前の出来事となる。王族や領主たちが大混戦になったものをブルボン家の名君が鎮めたというと、アンリ4世がナントの勅令を出してユグノー戦争を終結させたこと(1598年)以外にはないだろう。
 逆に、それを未来に投影し、17世紀のうちにそのような調停を行う名君が現れるという見通しで偽作されたのだとしたら、見事に外れたというほかはない。17世紀後半に王位にあったルイ14世は調停者として振舞うどころか、積極的に領土拡大のための対外戦争に打って出たことで知られている。

 後半についてだが、当時エルサレムはオスマン帝国領内にあった。しかし、「愛すべき君主たち」とあるのだから、オスマン帝国の話とは考えづらい。
 むしろ名誉上の「エルサレム王」の可能性もある。ヨーロッパではエルサレム王国が滅亡した後も、エルサレム王を名乗る家系が存在した(というよりも現代まで存続している)。ノストラダムスの先祖との関連で引き合いに出される善王ルネもその一人だった。
 しかし、その血統上の根拠によって複数の系統が存在する。17世紀初頭の段階でエルサレム王を名乗っていた、もしくは名乗りうる立場にいたのは、ロレーヌ公シャルル、スペイン王フェリペ3世、サヴォワ公シャルル・エマニュエルのようである *7
 つまり後半は、「エルサレム王」を名乗る家系が何らかの厄介ごとを押し付けられて、膨大な出費を強いられるということなのかもしれない。
 六行詩1番でサルッツォ侯国の帰属を巡ってフランス王とサヴォワ公が争ったことが投影されていたらしいことを踏まえるなら、サルッツォがサヴォワの手に落ちたことの意趣返しとして、「あんなお荷物を背負うとサヴォワ公爵家が不幸になるぞ」といった意味合いで書かれたものなのかもしれない。

その他

 1600Au では31番になっている。


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