百詩篇第9巻89番

原文

Sept ans sera 1 Philip. 2 fortune prospere 3 ,
Rabaissera 4 des Arabes 5 l'effaict 6 ,
Puis son mydi 7 perplex rebors 8 affaire
Ieusne ognyon 9 abysmera son fort 10 .

異文

(1) sera : aura 1594JF
(2) Philip. : Phil. 1572Cr, philip. 1590Ro, PHILIP 1594JF 1605, Philipp. 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716 1840, PHILIP. 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668, Philip 1672, Pilip. 1772Ri
(3) prospere : prosperée 1665
(4) Rabaissera : rebaissera 1572Cr
(5) Arabes : Barbares 1594JF 1672 1712Guy 1840, BARBARES 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668
(6) l'effaict 1568A 1568B 1568C 1590Ro 1628 1772Ri : l'effect 1572Cr, l'effort T.A.Eds.
(7) midy : Midy 1772Ri
(8) rebors : rebours 1594JF 1605 1628 1644 1649Xa 1649Ca 1650Le 1653 1660 1665 1668 1672 1712Guy 1840
(9) ognyon : Ogmion 1594JF 1672 1712Guy, ogmion 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1840, oignon 1644 1650Ri 1653 1665
(10) fort : Fort 1712Guy

校訂

 2行目 l'effaict は4行目との押韻を考えるなら l'effort でなければならない。
 4行目 ognyon は Ogmion となっているべき。

日本語訳

七年間、フィリップは幸運にも繁栄し、
アラブ人たちの武力を抑えつけるだろう。
それと逆に、その地の南方は難題に当惑する。
若きオグミオスがその砦を深淵に突き落とすだろう。

訳について

 1行目「フィリップ」は便宜上フランス式に呼んでいる。フェリペ、フィリッポ、フィリッポス、ピリップスなど、様々な可能性がある。
 3行目は動詞がないので、様々な訳し方がありうる。
 4行目「その砦を」は「その力(強さ)を」とも訳せる。

 山根訳は3行目「やがて 困惑の渦中で事は意にまかせず」 *1 が不適切。midi は「南方、南仏」以外に「正午」「(比喩的に)中年」の意味もあるので、そこからの連想で「真ん中」→「渦中」と導いたものだろうが、解釈をまじえすぎに思える。
 大乗訳も3行目「全盛期にあやまった方向に混乱して」 *2 の midi の訳に疑問がある。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594年)は、フェリペ2世と解釈した。「7年間」が何時を指すのかは不確かだとしつつも、2行目は1571年10月のレパントの海戦でオスマン帝国に勝利したこと、3行目はスペイン領ネーデルラントの独立運動に手を焼いたことと解釈した。4行目は未来のこととし、解釈していなかった *3
 この解釈は、のちに匿名の解釈書『暴かれた未来』(1800年)で、ほぼそのまま使われた。そこで「フェリペ3世」と誤植されていることはさておくとして、解釈面では「難題」にエリザベスとの戦争(無敵艦隊の敗北)が追加されていた *4

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)もフェリペ2世と解釈した。フェリペは当初うまくいき、レパントの海戦などでも勝利したが、その時代の後半(midi を正午と捉え、治世の折り返し点の比喩と理解しているらしい)になると様々な難題に直面し、フランスではアンリ4世(若きオグミオス)が即位して脅威となったことと解釈された *5

 バルタザール・ギノー(1712年)は未来においてフェリペの名を継ぐスペイン王に関する予言とした。その人物はバルバロイの思い上がりを挫くことに成功するが、7年を経てその幸運に見放され、フランス王家の血を引く者(オグミオス)の砲撃や爆撃で強大な拠点を失うことになると解釈した *6

 以上のように19世紀初頭まではスペイン王フェリペとする解釈しかなかったのだが、それ以降の数十年で状況は劇的に変わった。

 まずフランシス・ジロー(1839年)は、シャルル10世と解釈した。彼の実名はフィリップ=シャルルで、フランス王家でフィリップとつく初めての人物であり、在位期間も1824年から1830年までの7年間だった。ジローは2行目をアルジェリアのアラブ人を打ち破ったこととした(この時期、フランスはアルジェリアに干渉しており、1842年以降、正式に植民地とすることになる)。4行目はシャルル10世を傍系のオルレアン家の人物(ルイ=フィリップ)が継いだこととした *7

 ウジェーヌ・バレスト(1840年)は触れていなかったが、アナトール・ル・ペルチエ(1867年)はルイ=フィリップの治世(1830年 - 1848年)と解釈した。
 ル・ペルチエは「七年間」をルイ=フィリップの治世の最初の7年、つまり「1830年から1838年」(原資料のママ)と解釈し、その間アルジェリアでもアラブ人を退けてフランスの地位を強固にしたこととした。
 3行目は midi を「正午」と読んだ上で、治世の折り返し点にあたる1839年から1840年頃はいわゆる「東方問題」に手を焼き、1840年7月15日の四国ロンドン協定(英、墺、普、露による協定で、エジプトにシリア放棄を要求したもの。エジプト寄りだったフランスは孤立した)につながったことと解釈した。
 4行目の「若きオグミオス」は、残りの七年間(1840年から1848年。これも原資料のママ)を経て、七月王政を終わらせた第二共和政のことと解釈した。ル・ペルチエは1792年の第一共和政時代と1848年の第二共和政時代の5フラン硬貨には、オグミオスの肖像が獅子の皮をかぶったヘラクレスの姿として刻まれていたことも紹介した *8

 以降、この解釈が定説化し、チャールズ・ウォードマックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)エミール・リュイール(未作成)ジェイムズ・レイヴァースチュワート・ロッブエリカ・チータムセルジュ・ユタンクルト・アルガイヤーら多くの論者に引き継がれていった *9
 例外はヘンリー・C・ロバーツで、彼はガランシエールの解釈を踏襲したものか、明らかにフェリペ2世のことだとしていた *10

同時代的な視点

 ロジェ・プレヴォはフェリペ2世と解釈し、「七年間」はイングランド女王メアリ1世と結婚した1554年から、スペイン艦隊がジェルバ島(Djerba)でオスマン帝国に大敗した1561年までとした。このときにフェリペは39歳で、midi はこれをさすという。「若いオグミオス」は新しいフランス王(1560年末に即位したシャルル9世)で、スペインと対立した *11
 ピーター・ラメジャラーはこれを土台にしたが、1561年の見通しは、むしろフェリペ2世がフランスのアンリ2世に敗れることだったのではないかとした。つまり、結果的にフェリペは敗れたものの、それはアンリ2世によってではなかったので、半分外れたという判断である *12

 プレヴォとラメジャラーの判断の違いは、この詩がいつ書かれたのかに関わっている。1558年版『予言集』が実在したのなら、ラメジャラーのように解釈すべきであろう。逆にそれが実在せず、1560年代のいつかに書かれたのなら、プレヴォのように結果を元に書いたと判断できることになる。

 ジャン=ポール・クレベールは古代マケドニアの王フィリッポス2世と解釈し、4行目は若い貴族に暗殺されたことと解釈した。

その他

 1568年版のうち、1568B のみ LXXXXI (91)と詩番号が打たれている。


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