六行詩55番

六行詩集>55番*

原文

Vn peu deuant ou apres1 tres-grand' Dame2,
Son ame au Ciel, & son corps soubs la lame,
De plusieurs gens regrettée sera,
Tous ses3 parens4 seront en grand' tristesse5,
Pleurs & souspirs d'vne Dame en ieunesse,
Et à deux6 grands, le dueil delaissera.

異文

(1) deuant ou apres : apres 1600Au
(2) tres-grand' Dame : tres-grand dame 1600Mo, vne tres grande dame 1600Au, tres grand' Dame 1611 1649Xa, tres grand Dame 1627Ma 1627Di 1649Ca, tres-grand Dame 1644Hu
(3) ses : ces 1611B
(4) parens : voisins 1600Mo
(5) grand' tristesse : grand tristesse 1600Mo 1627Ma 1627Di 1644Hu 1672Ga
(6) Et à deux : Qui a deux 1600Mo

日本語訳

少し前ないし後に、非常に偉大な貴婦人の
魂は天に、体は刃の下にある。
彼女は多くの人々から惜しまれるだろう。
近親者たちはみな大いに悲しむだろう。
あるうら若き婦人の涙と嘆息。
そして二人の偉人に死別の悲しみを残すだろう。

訳について

 当「大事典」では、Dame は「婦人」としか訳さないことが多いが、tres-grande を伴っている1行目については「貴婦人」と訳した。

信奉者側の解釈

 テオフィル・ド・ガランシエールは、1666年にフランス王太后アンヌ・ドートリッシュが死んだときに、その偉大な2人の息子ルイ14世とフィリップ・ドルレアンを悲しませたこと、もしくはイングランド王太后ヘンリエッタ・マリアの死によって、その息子チャールズ2世とヨーク公ジェームズ(のちのイングランド王ジェームズ2世)が悲しんだことと解釈した*1

 フランス革命に際して多くの貴婦人が断頭台で処刑されると、その誰かとする解釈が次々と現れた。
 当「大事典」で確認している範囲では、匿名の解釈書『暴かれた未来』(1800年)で、マリー・アントワネットの処刑(1793年)と解釈されたのが最初のようである*2

 テオドール・ブーイ(1806年)はルイ16世の妹エリザベートの処刑(1794年)と解釈した。彼女の死は若きマリー・テレーズ(のちのマダム・ロワイヤル)の涙と嘆息を誘い、エリザベートの兄2人プロヴァンス伯(のちのルイ18世)とアルトワ伯(のちのシャルル10世)を深く悲しませたと解釈した。この解釈はアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードジェイムズ・レイヴァーらが踏襲した*3

 フランシス・ジローは1792年にランバル公妃マリー・ルイーズが惨殺されたこととし、それがパンチエヴル公(Duc de Panthièvre)やカリニャン家(les Carignans)に惜しまれ、若きマリー・テレーズの涙と嘆息を誘い、ルイ16世とマリー・アントワネットを深く悲しませたことと解釈した。ウジェーヌ・バレストは、この解釈をそのまま踏襲した*4

同時代的な視点

 この詩はかなり漠然としている。
 断頭台の印象の強さからフランス革命に結び付けられやすいのは確かだろうが、それ以前の標準的な処刑法は首切り役人による斬首だったのだし、「刃の下」というだけでフランス革命に結びつけるのは、安易といわざるをえない。

 17世紀初頭におけるモデルの候補というと、国家反逆罪に問われたアンリエット・ダントラーグないしその母親が挙げられる。恩赦が出される前に、処刑される可能性を見越して書かれた可能性はあるのかもしれない。しかし、漠然とした詩のため、特定は難しいだろう。

その他

 1600Au では53番になっている。


※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

タグ:

六行詩
最終更新:2020年01月27日 01:55

*1 Garencieres [1672]

*2 L’Avenir... [1800] pp.24-26

*3 Bouys [1806] pp.72-73, Le Pelletier [1867a] pp.186-187, Ward [1891] pp.267-268, Laver [1952] p.161

*4 Girault [1939] p.33, Bareste [1840] p.518