原文
Du
1 lac
2 Leman les sermons
3 facheront :
Des
4 iours seront
reduicts par les
5 sepmaines
6,
Puis mois, puis an, puis tous deffailliront
7,
Les magistrats
8 damneront
9 leur
10 loys
11 vaines
12.
異文
(1) Du : De 1612Me
(2) lac : Lac 1649Ca 1650Le 1668A 1672Ga, Lact 1668P
Leman : lêman 1612Me, Lement 1716PRb
(3) sermons : Sermons 1672Ga
(4) Des : Les 1588Rf 1612Me 1627Di 1627Ma 1665Ba
(5) les : des 1591BR 1597Br 1605sn 1606PR 1607PR 1610Po 1611A 1611B 1627Di 1627Ma 1628dR 1644Hu 1649Xa 1650Ri 1653AB 1981EB 1665Ba 1672Ga 1716PR
(6) sepmaines : Sepmaines 1672Ga
(7) deffailliront : failliront 1607PR 1610Po
(8) magistrats : Magistrats 1590SJ 1591BR 1597Br 1605sn 1606PR 1607PR 1610Po 1611A 1611B 1627Di 1627Ma 1628dR 1644Hu 1649Ca 1649Xa 1650Le 1650Ri 1653AB 1665Ba 1667Wi 1668 1672Ga 1716PR 1981EB
(9) damneront : donneront 1589Me 1612Me, danneront 1607PR
(10) leur 1555 1611B 1716PR : leurs T.A.Eds. (sauf : les 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668)
(11) loys : Loix 1672Ga
(12)vaines : vainest 1667Wi
校訂
日本語訳
レマン湖からの説教が不快にさせるだろう。
日々は週によって置き直され、
そして月々、さらに年々となって、全てが絶えるだろう。
行政官たちは彼らの空虚な諸法を痛罵するだろう。
訳について
大乗訳1行目「ルーマン・レイクの説教は めんどうなことになるだろう」は、ラック・レマン(lac Léman)を英語交じりに読んでいることも問題だが、fascher を「面倒になる」と訳すことの妥当性が疑問。
同2、3行目「ある日の説教が数週間に/数ヵ月に それから 数年間にわたってひろまるだろう」は言葉を補いすぎていて不適切。
同4行目「彼らはつまづき 裁判官は 彼らの愚(おろか)しい法を非難するだろう」の冒頭は、本来3行目の末尾にあるべき言葉。
山根訳はおおむね許容範囲内だろうが、4行目「その筋は彼らの役立たずの権力を お笑いなされる」に顕著なように、解釈をまじえて訳しすぎている感がある。
信奉者側の見解
同時代的な視点
ノストラダムスがこの詩を書いた頃の
ジュネーヴは、カルヴァン派の一大拠点だった。これは明らかに、反カルヴァン派の視点で書かれている。
日、週、月などの表現は少々奇妙なものだが、実はこれを裏返しにしたような表現が『
ミラビリス・リベル』には登場している。
「そして、ダン族から一人の邪悪な君主が現われ、反キリストと呼ばれるだろう。滅びの子、高慢の頭にして誤謬の主人である悪意に満ちた彼は、地上を混乱させ、偽りのわざによって、様々な不思議や大いなるしるしを見せるだろう。その悪魔のわざによって多くの人々を惑わせるので、天からの火に命じているようにさえ思われるだろう。年々は月々に置き直され(切り詰められ)、月々は週に、週は日々に、日々は時刻へと」(
ティブルのシビュラ)
この予言は『
新約聖書』の『テサロニケ人への第二の手紙』にある「
不法の者が来るのは、サタンの働きによるのであって、あらゆる偽りの力と、しるしと、不思議と、また、あらゆる不義の惑わしとを、滅ぶべき者どもに対して行うためである」をアレンジしたものだという。
ともあれ、ノストラダムスはこの詩で、カルヴァン派を反キリスト的なモチーフと結び付けようとしたらしい。この点は
ピエール・ブランダムールが最初に指摘し、
ピーター・ラメジャラー、
ジャン=ポール・クレベールも同じ箇所を引用している。
クレベールの場合、それに加えて、「賢者が年を月に、月を週に、・・・切り詰める」という表現は、当時の錬金術師たちの言説の中にも見られることを指摘した。
ロジェ・プレヴォは、カルヴァンが改革の一環として、日曜日を除く祝日を撤廃させたことと関連付けた。
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最終更新:2018年07月22日 16:05