詩百篇第9巻74番


原文

Dans la cité1 de Fertsod2 homicide,
Fait & fait multe beuf arant3 ne macter,
Retour4 encores5 aux honneurs d'Artemide6,
Et à Vulcan7 corps morts8 sepulturer9.

異文

(1) la cité : cité 1603Mo 1650Mo, la Cité 1672Ga
(2) Fertsod : Fert sod 1568X 1605sn 1628dR 1649Ca, fer fort 1572Cr, Fert sod. 1590Ro, Fert son 1649Xa, Fetsod 1653AB, Fersod 1665Ba 1720To 1840
(3) fait multe beuf arant : fait bulfar 1572Cr, fait multe boeuf arant 1590Ro 1603Mo 1650Mo 1667Wi 1668P 1772Ri, fait multe beufarant 1627Ma, fait multe beufutant 1627Di, fait multe beaufarant 1644Hu, fait multe beauferant 1653AB 1665Ba 1720To, fait multe Bœuf arant 1672Ga 1716PR, fait multe bufrant 1840
(4) Retour : Retours 1606PR 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1716PR 1720To 1840
(5) encores : encore 1667Wi 1672Ga
(6) d'Artemide : dartemide 1568X 1590Ro, d'Arte mide 1627Di
(7) Vulcan : Vnlcan 1627Di, Vlcan 1650Mo
(8) morts : moins 1627Di, mort 1644Hu 1653AB 1665Ba 1720To1840
(9) sepulturer : sepulturez 1568X

校訂

 Fertsodは少なくとも Fert sod と綴られるべきだが、ロジェ・プレヴォの校訂が正しいのなら、Fert. sol とでもなっているべきだろう。
 プレヴォは2行目のarantを orant と校訂している。

日本語訳

肥沃な土地の殺人都市で、
多くの耕作用の牛が生贄にされまくる。
なおもアルテミスの栄誉に立ち返り、
そしてウォルカヌスへと亡骸を葬る。

訳について

 1行目Fertsodは「肥沃な土地」と読むロジェ・プレヴォに従っている。
 2行目 ne macterについて、ロジェ・プレヴォピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールらは一致して ne を訳出していない。また、multe beuf を多くの牛と訳すことにも異論はないが、誰も beuf を複数に校訂していない。
 ここではそれらに従ったが、後出の解釈からするとmulteを「罰」の意味に理解して、「耕作用でも生贄用でもない牛(によって)罰せられ、(殺人が)行われる。」というような訳でも良いように思える。

 大乗訳1行目「ファートソドの町で殺人があり」*1は、固有名詞の読み方を別にすれば問題ない。
 同2行目「そのため役牛を殺して横たえる」は、beuf arant を「役牛」と訳すのは良いとしても、multeが訳されていない上、「横たえる」の根拠も不明である。
 同4行目「バルカンは死体を埋葬するだろう」は Vulcan の前に前置詞があるのだから、ウォルカヌス(バルカン)を主語にとることはできない。

 山根訳1行目「人殺しの市フェルソドにて」*2は、特に問題ない。大乗訳は homicide を名詞に捉え、山根訳は形容詞に捉えたという違いにすぎない。
 同2行目「多数の牡牛がくり返して耕す 犠牲にされず」は、区切り方によってはありうる訳。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは Fertsod などという町はヨーロッパにないことを指摘した上で、単語は平易だが意味は難解なので、解釈は読者に任せるとした*3

 その後、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードマックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)アンドレ・ラモンロルフ・ボズウェルジェイムズ・レイヴァーらは解釈していない。
 ただし、ル・ペルチエは、用語集で Fertsod に触れたときに、アンリ・トルネ=シャヴィニーが「豊かなソドム」と読んだ上でパリに結び付けたと紹介していたので、トルネ=シャヴィニーは何か解釈をしていたのだろう。

 ヘンリー・C・ロバーツは、占いに関する著書が広く知られている紀元前100年頃の著述家、アルテミドルス(Artemidorus)に敬意を捧げた詩とした*4。なお、ロバーツの日本語版では、『コンテンポラリー』という夢解釈の本があることになっているが、誤訳である(ロバーツは、アルテミドルスがノストラダムスの精神的な同時代人 spiritual “contemporary” であり、その著書の中では夢解釈に関するものが現存していると述べているに過ぎない)。

 セルジュ・ユタンは、フランス革命期に反革命暴動を起こして大弾圧を受けたリヨンと解釈した*5

 エリカ・チータムは解釈を事実上放棄している*6

同時代的な視点

 ロジェ・プレヴォは、2行目を古代トゥールーズの殉教者、聖サトゥルニヌス(聖セルナン)がモデルと推測した。
 古代のトゥールーズでは、アルテミス神殿への供物として牛を捧げ、その葬儀をウォルカヌスの祭壇で行っていたという。聖サトゥルニヌスはこうした異教的儀式や偶像崇拝に反対し、激昂した住民たちの私刑によって死んだ。一説には、牛に足をくくり付けられ、引きずられて死んだという。
 「肥沃な土地」(Fertilitate Soli)というのは、ノストラダムスと同時代の学者オジエ・フェリエ(Ogier Ferrier)がトゥールーズを形容した表現だという*7

【画像】聖サトゥルニヌスの殉教(14世紀の作品)*8

 ピーター・ラメジャラーはプレヴォの説を踏襲しつつも、16世紀にプロテスタントが増えていたトゥールーズでの、異教的な儀式の可能性を描いたものではないかとした*9
 当時のカトリックは、プロテスタントに対して偏見を抱き、彼らが様々な血塗られた、または淫奔な異教的儀式を執り行っているとする言説を展開することがあった。

 ジャン=ポール・クレベールは、多くの牛がアルテミスの栄誉のために生贄になるというのは、ヘカトンベの復活を想定したものではないかとした*10


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最終更新:2020年03月17日 02:12

*1 大乗 [1975] p.276

*2 山根 [1988] p.307

*3 Garencieres [1672]

*4 Roberts [1949]

*5 Hutin [1978]

*6 Cheetham [1973/1990]

*7 Prévost [1999] pp.175-176

*8 画像の出典:http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Saturninus_vignay.jpg

*9 Lemesurier [2003b/2010]

*10 Clébert [2003]