シェバの涙

 「シェバの涙」(サベの涙、シバの涙)は詩百篇第5巻16番に登場する。おそらく乳香か没薬の隠喩だろう。

 エドガー・レオニマリニー・ローズは乳香としていた。
 古来、アラビア半島南部は乳香を産出することで知られており、オマーンの世界遺産には「乳香の土地」という物件があるほどである。

【画像】100%純オーガニック乳香樹脂塊(オマーン)

 旧約聖書にも、シェバから乳香を輸入していたことをうかがわせる記述がある。
 「シバから、わたしの所に乳香が来、遠い国から、菖蒲が来るのはなんのためか」(『エレミヤ書』第6章20節前半)

 ピーター・ラメジャラーも乳香としていたが、没薬と混同されている可能性も指摘した。ラメジャラーは根拠を挙げていなかったが、没薬の可能性も確かにあるだろう。
 オウィディウスの『変身物語』には、それと関係があるかもしれない伝説が伝えられている。
 キニュラス王の娘ミュラは、絶世の美少女としてその名を知られていたが、父親への許されざる愛から顔を隠して関係を持った。
 彼女は正体が露見したことで国を去り、シェバ(サバ)の地まで逃れたときに没薬の木に変身した。
 彼女が父との間にもうけた子供は、お産の女神の助けもあって没薬の木から無事生まれることができ、ニンフたちがその子、つまりアドニスを育てることにした。アドニスの肌を清めたものは母親の涙だったが、これがつまり没薬であったという*1

【画像】オウィディウス 『変身物語』上巻

 没薬も、香油や聖油の原料あるいは香料として、聖書に頻出する。ゴム質の樹液だが、液状のものが特に珍重された。
 「主はまたモーセに言われた、『あなたはまた最も良い香料を取りなさい。すなわち液体の没薬五百シケル、香ばしい肉桂をその半ば、すなわち二百五十シケル、におい菖蒲二百五十シケル、桂枝五百シケルを聖所のシケルで取り、また、オリブの油一ヒンを取りなさい」(『出エジプト記』第20章22節 - 24節)
 また、イエスの埋葬に使われたともされる。
 「また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモも、没薬と沈香とをまぜたものを百斤ほど持ってきた。彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻いた」(『ヨハネによる福音書』第19章39・40節)

【画像】ミルラ (没薬) 10ml インセント アロマオイル

 乳香も没薬も原産地はアラビア半島南部とソマリランド北部であり*2、どちらにせよ、「シェバの涙」はアラビア半島南部で産出する香料を指していると見るのが妥当だろう。

信奉者側の見解

 20世紀以降の信奉者には、これを石油と解釈する者たちがいる。
 クルト・アルガイヤーは、古代に石油のことが「サバのしずく」と呼ばれ、シェバの女王がエジプトに輸出していたと主張した*3

 五島勉は、シェバの女王が輸出した黒檀や黒真珠が「サバの木」「サバの玉」として珍重されていたと主張し、「サバの涙」はアラビア産の黒い液体、つまり石油を指すとした*4

懐疑的な見解

 シェバの項に引用した『歴代志』にしろ、ほぼ同じ内容の『列王記』にしろ、その他のシェバの交易を指す旧約聖書中の記述にせよ、シェバの輸出品に石油、黒檀、黒真珠が含まれていたという記述は全く無い

 なお、シェバの女王は黒い肌の女性であるかのように描写されることもあるが、聖書の中には肌の色への言及はない。それは、『雅歌』での全く別の描写との混同ではないかという意見もある*5


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最終更新:2010年10月14日 20:15

*1 呉『ギリシア神話・上』pp.204-207

*2 前出『聖書辞典』。なお、没薬や乳香の聖書中の登場箇所も、この辞典を参照した。

*3 アルガイヤー [1985] p.46

*4 五島『ノストラダムスの大予言・中東編』pp.96-97

*5 ケン・スミス『誰も教えてくれない聖書の読み方』pp.75-76