ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1627年リヨン)

リヨンでは、1627年に『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』が複数の業者の手によって出版された。それらは木版画、構成が全く同じものであり、版が共有されていたとされる。第7巻43番第7巻44番が収録された版のうち、年代が明記された版としては最も古いものである。

【画像】ユグタン版の第一部扉(左)、第二部扉(中央)、第三部扉(右) *1

正式名

第一部
  • LES PROPHETIES DE M e . MICHEL NOSTRADAMVS.
    • Dont il y en a trois cens qui n'ont encores iamais esté imprimees, Adioutees de nouueau par ledict Autheur.
    • A LYON, PAR IEAN HVGVETAN.
    • M.DC.XXVII.
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集
    • 前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。
    • リヨンにて、ジャン・ユグタンによる。
    • 1627年

第二部
  • LES PROPHETIES DE M e . MICHEL NOSTRADAMVS.
    • CENTVRIES, VIII. IX. & X. Qui n'ont encores iamais esté Imprimees.
    • A LION,
    • M.DC.XXVII.
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集
    • 未刊であった百詩篇第八・九・十巻
    • リヨンにて、
    • 1627年

第三部
  • LES PROPHETIES DE M e . MICHEL NOSTRADAMVS.
    • POVR LES ANS COV-rans en ce Siecle.
    • CENTVRIE XI. Qui n'ont encores iamais esté Imprimees.
    • A LYON,
    • M.DC.XXVII.
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集
    • この世紀のいずれかの年のために。
    • 未刊であった百詩篇第十一巻
    • リヨンにて、
    • 1627年

 第二部の encores は c が反転して印刷されている。これは、少なくともユグタン版とディディエ版はそうである。
 先行する諸版の中でも、1600年頃のディディエ/ポワイエ版などと同じ木版画を使っている。ただし、六行詩だけ切り離して三部構成にしている点で大きく異なる。
 題名もほとんど同じだが、ノストラダムスの敬称 M. を M e . と綴っているのは、この時期としては特異である。他に細かい点として、第一部の Adioustees → Adioutees のほか、第二部の VIII. IX. X. → VIII. IX. & X. や第二部・第三部の imprimees → Imprimees などを指摘することができる。
 どうでもよい差のようだが、他にこうした特色を持つ版は、刊行年の記載されていないマルニオル/タンチヨン版しか確認されていない。

内容

 第一部は、第一序文(セザールへの手紙)、百詩篇第1巻から第6巻(ラテン語詩は含むが、補遺篇の百詩篇第6巻100番は含まない)、第7巻(43番44番を含む44篇)の順に収められている。
 第二部は、第二序文(アンリ2世への手紙)、百詩篇第8巻から第10巻(101番を含む)が収められている。
 第三部はヴァンサン・セーヴの献辞と六行詩による第11巻58篇、四行詩による第11巻(2篇)、第12巻(56番を除く10篇)が収められている。

 一部に初版を参照したらしい異文を含んでいる点が目を引くものの、全体として誤植が非常に多い。

刊行年

 扉に1627年と明記されているが、もう少し後の刊行と疑う者たちもいる。
 ダニエル・ルソは1630年頃の刊行としていた *2 。リヨン出版業史の専門家マリー=アンヌ・メルランも、1630年頃と推定していた *3
 ロベール・ブナズラは、ルイ13世が死んだ1643年に、政治的意図で作成された偽年代版の可能性を指摘していた *4

 その一方で、パトリス・ギナール(未作成)は、年代の明記されたディディエ、ユグタン、ラ・ボチエールの各版(後述)は記載どおり1627年(ただしその年末)と位置付け、刊行年のないカステラール版のみ1628年頃と位置付けた *5

 初登場の2つの詩篇(第7巻の43番44番)、特に43番が1627年のラ・ロッシェル攻囲に際して偽造された詩だとするギナールの推察が正しいのなら、ギナールの年代推定もまた、十分に説得的といえるだろう。当「大事典」としても、その可能性は高いと考えている。

所蔵先

 第一部扉の業者名が異なる版が複数ある。カステラール版を除けば、業者名の部分が差し替えられているだけである。ここでは、それらごとに分類しておく *6


  • ジャン・ディディエ、1627年版(PAR IEAN DIDIER M.DC.XXVII.)
    • リヨン市立図書館
    • ゾロトゥルン中央図書館(スイス)、イタリア国立図書館(ナポリ)、パラティナ図書館(Biblioteca Palatina, パルマ)、RAMKAT

  • フランソワ・ラ・ボチエール、1627年版(PAR FRANCOIS LA BOTTIERE, M.DC.XXVII.)
    • フリブール州立図書館(B. cantonale et universitaire de Fribourg, スイス)、パラティナ図書館


【画像】ディディエ版の第一部扉(左)とカステラール版の第一部扉(右) *7

その他

 ミシェル・ショマラの書誌に掲載された1627年ジャン・ディディエ版の第一部扉には、刊行年が記載されていない。彼が使ったリヨン市立図書館の伝本は年号があったはずの部分が破損しており、同図書館が撮影したマイクロフィルムにはすぐ下のページの文章も写り込んでいるのだが、ショマラはクリーニング処理の際にその部分を除去してしまったようである。結果として、彼が提示した画像を見ると、あたかも刊行年が書かれていない版であるかのように見えてしまうのである。


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