ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (マルニオル、タンチヨン)

 17世紀のリヨンでは、ピエール・マルニオルエチエンヌ・タンチヨンによっても『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』が出版された。第7巻43番第7巻44番の初出時期を考える上で重要な版だが、研究者によって刊行年が大きくずれている。

【画像】第一部扉(左)、第二部扉(中央)、第三部扉(右) *1

正式名

第一部
  • LES PROPHETIES DE M e . MICHEL NOSTRADAMVS.
    • Dont il y en a trois cens qui n'ont encores iamais esté imprimees, Adioutees de nouueau par ledict Auteur.
    • A LYON, PAR PIERRE MARNIOLLES.
    • Auec permission
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集
    • 前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。
    • リヨンにて、ピエール・マルニオルによる。
    • 認可とともに。

第二部
  • LES PROPHETIES DE M e . MICHEL NOSTRADAMVS.
    • CENTVRIES, VIII. IX. & X. Qui n'ont encores iamais esté Jmprimees.
    • A LYON, Pour Estienne Tantillon.
    • Auec Permission.
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集
    • 未刊であった百詩篇第八・九・十巻
    • リヨンにて、エチエンヌ・タンチヨンのために。
    • 認可とともに。

 Pour はその書肆のために、ということを指す。ただし、第一部、第三部と表記が一致しないため、par と同一視してタンチヨンが分担出版したと見るべきか。

第三部
  • AUTRES PROPHETIES, DE M e . MICHEL NOSTRADAMVS,
    • POVR LES ANS courans en ce Siecle.
    • CENTVRIE XI. Qui n'ont encores iamais esté Jmprimees.
    • A LYON, PAR PIERRE MARNIOLLES.
    • Auec permission
  • ミシェル・ノストラダムス師の別の予言集
    • この世紀のいずれかの年のために。
    • 未刊であった百詩篇第十一巻。
    • リヨンにて、ピエール・マルニオルによる。
    • 認可とともに。

 題名の細かな綴りの特色などは、1627年のリヨン版とほぼ一致する。それとの違いは、第一部の Autheur → Auteur と第三部の LES PROPHETIES → AUTRES PROPHETIES および第二部・第三部の Imprimees → Jmprimees のみである。

内容

 第一部は、第一序文(セザールへの手紙)、百詩篇第1巻から第6巻(ラテン語詩は含むが、補遺篇の百詩篇第6巻100番は含まない)、第7巻(43番44番を含む44篇)の順に収められている。
 第二部は、第二序文(アンリ2世への手紙)、百詩篇第8巻から第10巻(101番を含む)が収められている。
 第三部はヴァンサン・セーヴの献辞と六行詩による第11巻58篇、四行詩による第11巻(2篇)、第12巻(56番を除く10篇)が収められている *2

刊行年

 扉に刊行年はないので推測するほかはないが、論者によって大きくばらついている。
 ミシェル・ショマラは、ピエール・マルニオルの活動期間をもとに、1615年頃と推測した *3パトリス・ギナール(未作成)は、1629年頃と位置付けた *4ダニエル・ルソは1630年頃の刊行としていた *5ロベール・ブナズラは、1650年頃としていた *6

 ピエール・マルニオルエチエンヌ・タンチヨンの活動時期を考えるなら、ショマラの推定が最も自然で、1610年代の刊行と考えざるをえない。

 他方で、マルニオルの死後、その名を借りた海賊版として出された可能性もあるのではないかというパトリス・ギナールが指摘するように、新しく付け加えられた第7巻の43番44番が1627年のラ・ロッシェル攻囲に際して偽造された詩だとするならば、この版の出現はそれ以降に求められなければならない。

 ブナズラは1650年とした理由を明記していないが、追加された2篇(第7巻の43番44番)が、1650年ライデン版と一致すると述べている。これらの詩篇は、1643年 *7 、1644年、1650年に特徴的な改訂が加えられているため、ブナズラの指摘が事実なら、1650年近くの可能性も否定できなくなる。
 しかし、実際には1650年ライデン版と完全に一致するものではなく、むしろライデン版に先行していた可能性をうかがわせる。

 現在確実に明らかになっている状況証拠からするならば、海賊版と見なすなり、従来認識されていなかったピエール・マルニオル2世やエチエンヌ・タンチヨン2世が存在したと仮定するなりによって、出版業者の問題をクリアできさえすれば、1629年から1630年頃というルソやギナールの推測が最も妥当であろうと思われる。ただし、当「大事典」ではむしろいくつかの原文比較からの印象として、1627年リヨン版よりもわずかに先行するのではないかと考えている。
 ルソは1627年刊行とされている版もともに1630年頃の出版と見ている。そういう可能性も含めて、1627年リヨン版との先後関係は慎重に検討する必要があるだろう。

所蔵先

  • オーストリア国立図書館、カザナテンセ図書館(ローマ)

前者はGoogleブックスで公開されている。


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