原文
Le
1 sang du Iuste
2 par Taurer la daurade
3,
Pour se venger
4 contre les
Saturnins5
Au nouueau lac
6 plongeront la
maynade7,
Puis
8 marcheront
9 contre les
Albanins.
異文
(1) Le : La 1627Ma 1627Di
(2) Iuste : iuste 1594JF 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1672Ga 1697Vi 1720To 1772Ri 1840
(3) Taurer la daurade : Taur & la Dorade 1594JF 1605sn 1628dR 1649Xa 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668 1672Ga 1840, Taurer la Daurade 1644Hu 1981EB 1772Ri
(4) venger : vanger 1590Ro 1597Br 1603Mo 1606PR 1650Mo 1716PR(a b), renger 1653AB 1665Ba, ranger 1697Vi 1720To
(5) Saturnins : saturnins 1653AB, Saturins 1716PRc
(6) nouueau lac : nouueau loc 1590Ro, nouue au lac 1606PR 1607PR 1716PRa, nouveau Lac 1672Ga
(7) maynade : Mainade 1672Ga, Maynade 1772Ri 1840
(8) Puis : Buis 1650Mo
(9) marcheront : marcherons 1605sn
(注記)版の系譜の考察のために1697Viも加えた。
校訂
日本語訳
公正なる者の血がトールとドラドによって(流される)、
サトゥルニヌスの支持者たちに復讐するために。
彼らは新しい湖にマエナスを沈め、
そしてアルバニア人たちに対し行軍するだろう。
訳について
既存の訳についてコメントしておく。
山根訳3行目「彼らは絆を新しい湖に沈めよう」の「絆」は、
maynadeをどう解釈するかの問題だが、転訳による誤りと見るべきだろう。
大乗訳1行目「ちょうど牡牛座とカジキ座の血は」は、一応そう訳すことも可能である。
信奉者側の見解
ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594年)は、1562年のトゥールーズで、カトリックとプロテスタントが激しく衝突した情勢と解釈した。
4行目は、モントーバンをカトリックが攻囲したことだという。
シャヴィニーは地名の特定について詳述していないので補足しておくと、トゥールーズと見なした根拠はトールとドラドにあるのだろう(後述の「同時代的な視点」参照)。
モントーバン(Montauban)が登場しているのは、多分その古称モンテ・アルバノ(Monte Albano)によるものと思われる。
D.D.(1715年)は、ピューリタン革命と解釈した。公正な者をチャールズ1世とした。
1行目の後半は par Tore & les Torads と読み替えて律法とその支持者とし、熱烈なイギリス国教会支持者に対して、クロムウェルらが呼んだ蔑称トーリー(Toree)と結びつけた。
その一方で、
ネッド・ハリーのように D.D. の解釈を踏襲する論者は現在でもいる。
同時代的な視点
エドガー・レオニは、1行目のトールとドラドをトゥールーズにあるサン=サチュルナン=デュ=トール聖堂(St.-Saturnin-du-Taur)とサント=マリー=ド=ラ=ドラド聖堂(Sainte-Marie-de-la-Dorade)と解釈した。
2行目のサトゥルヌス主義者はカルヴァン派のことで、彼らがしばしばカトリックの聖堂を襲ったことを指すという。
3行目の「新しい湖」は財宝が棄てられたという古代の伝説上の湖に対応した表現とした。
それらを踏まえ、この詩はトゥールーズの人々がプロテスタントだけでなくスペインのアルバ公の軍隊とも戦わなければならなかったこととした。
1行目の読み方は
ピーター・ラメジャラーも支持している。
ラメジャラーはサトゥルヌス主義者をユダヤ教徒と解釈し、トゥールーズのユダヤ教徒に関する未特定の事件を描いた詩とした。
ジャン=ポール・クレベールもトゥールーズの出来事としたが、教会の名前は、ノートルダム=デュ=トールとノートルダム=ド=ラ=ドラドとしている。
『ミシュラングリーンガイド・フランス』などでもそうなっている。
2行目の
Saturninは聖サトゥルニヌス(St. Saturnin)の支持者とし、それへの復讐で公正な者の血が流れるというのは、無信仰者によって伝道師が殺されることを言ったのだろうとした。
3行目のマエナスは扇情的なバッコス祭の巫女だが、これはトゥールーズで行われていた儀式に関係があるとした。
かつてトゥールーズでは贖罪の犠牲として、羽根で頭を飾った裸身の少女たちを柳の籠に入れ、ガロンヌ川の水に沈めることをしていたという。
4行目の
Albaninはアルバニア人と解釈し、この場合はおそらく傭兵の隠喩だろうとした。
ブランダムールの解釈には説得的なものが多いのは確かだが、この詩に関して言えば、無理があるように思われる。
やはりトゥールーズで起きた何らかの事件と解釈する方が妥当ではないだろうか。
1558年版『予言集』が実在しなかったのなら、この詩は1560年代に書かれた可能性もある。
その場合、1562年の事件としたシャヴィニーの読み方も、必ずしも的外れというものではないのかもしれない。
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最終更新:2020年06月03日 01:13