ジャック・ド・ジャン(Jacques de Jant, 1626年 - 1676年9月)は、フランスのディジョン出身の国家官吏、著述家。著作を発表する際には、「ル・シュヴァリエ」(騎士)を冠して「ル・シュヴァリエ・ド・ジャン」(Le chevalier de Jant)としばしば称した。
生涯
ジャック・ド・ジャンは、ディジョン財務局財務官ピエール・ド・ジャンの息子として、1626年に生まれた。青年期にマルタ騎士団の騎士となり(後年の筆名はこのことに因む)、その後、国王ルイ14世の弟オルレアン公フィリップの家令(intendant)となり、貴重品陳列室守衛を兼務した。
1655年には、ルイ14世から国境警備の総責任者(capitaine et garde général des frontières)と海軍監査役(commissaire de la marine)に任命され、同じ年には、ポルトガルへ派遣されている。その際、フランスの海事総監(surintendant général de la navigation en France)ヴァンドーム公から海軍の全権を委任される形で交渉に当たった。
彼は最終的に国務院(コンセイユ・デタ)のメンバーに選ばれている。その傍らで複数の著書を発表した。
著書
- 『メフメト4世の兄弟、トルコ皇帝、スルタン・イブラヒムの息子、オスマン王子の物語』(パリ、1665年)
- 1670年に増補版が刊行された。なお、表題をはじめ、事実誤認が指摘されている。
- 『世界の誕生を含む興味深い神学』(ディジョン、1666年)
- 『パラスの楯メデューサ、あるいは表題の風刺書に対するフランスの為の防衛』(ディジョン、1666年 - 1667年頃)
上記のほか、『ポルトガル宮廷におけるル・シュヴァリエ・ド・ジャンの指導と交渉』と題する未公刊の手稿があったようである。
ノストラダムス関連
1672年から1673年にかけて相次いで解釈書を出版した。
彼の立場と書名から容易に見当が付くことであろうが、彼はルイ14世に好意的な予言解釈を展開した。
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最終更新:2010年11月13日 11:02