百詩篇第10巻14番

原文

Vrnel 1 Vaucile 2 sans conseil de soy mesmes 3
Hardit 4 timide par 5 crainte prins vaincu,
Accompaigné 6 de plusieurs putains blesmes 7
A Barcellonne 8 aux 9 chartreux 10 conuaincu.

異文

(1) Vrnel : Vrner 1665
(2) Vaucile : vauclle 1568A, Vauclle 1590Ro, Vaucil 1611B 1660
(3) soy mesmes : soy-mesmes 1568I 1644 1649Xa, soy mesme 1665 1668A, soy-mesme 1668P 1772Ri 1840
(4) Hardit : Hardy 1590Ro 1644 1650Ri 1650Le 1653 1665 1668 1672 1772Ri 1840
(5) par : car 1600
(6) Accompaigné : Accompaignez 1665 1840
(7) blesmes : blesme 1668A 1672
(8) Barcellonne : Barcelionne 1628
(9) aux : au 1627
(10) chartreux 1568 1605 1611 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668 : Chartreux T.A.Eds.

校訂

 Urnel Vaucileは様々な可能性があるが、何らかの誤植を含んでいる可能性が高い。ロジェ・プレヴォらの校訂に従うならば、Umel vacil となるべきだろう。

日本語訳

彼自身の決断なしに貶められ、よろめく。
豪胆な者が臆し、恐怖に囚われ打ちのめされる。
蒼ざめた多くの娼婦たちに伴われて、
バルセロナの獄舎にて有罪を宣告される。

訳について

 1行目のUrnel Vaucileをはじめ、全体的にロジェ・プレヴォピーター・ラメジャラーの読み方を基軸とした。4行目 chartreux はカルトジオ会修道士の意味ではあるが、中期フランス語の chartre (監獄)の派生語とするプレヴォらの読みに従った。

 大乗訳1行目「アーネル バーチルの忠告なしに」 *1 は、固有名詞の読み方を棚上げするとしても soy-mesme (彼自身)の捉え方が微妙。
 同2行目「ひどく恐れて打ち倒されて」は、後半しか訳されておらず、hardit (豪胆)、timide (臆病)のいずれも訳に反映されていない。
 同3行目「多くの姦通の仲間で」も、少なくとも blesmes (蒼ざめた)が訳に反映されていない。
 同4行目「バルセロナでシャルトルの修道士は有罪とみなす」は上でも少し述べたように、chartreux の訳によっては成立する。

 山根訳は訳し方の可能性という点では、成立の余地はある。ただ、「ウルネル ボーシル」という表記は不適切。フランス読みで統一するなら「ユルネル・ヴォーシル」とすべきだろう(フランス語で u をウと読むことはない)。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは Urnel Vaucille をそういう名前の紳士(gentleman)として、その人物の占い(horoscope)に関する詩で、その人物が裁判にかけられ、バルセロナのカルトジオ修道院に送られることになるとした *2

 その後、20世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードの著書には載っていない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)は、スペイン内戦(1936年 - 1939年)の一場面と解釈した。彼の原文ではUrnel Vancile となっており、Urnel は宝瓶宮の影響下にあるもの、この場合は共和政で、Vancile はアナグラムで Valenci となり、二つあわせてバレンシア共和国政府(la république de Valence)を指すとした。スペインの人民戦線内閣はフランコの攻勢によって臨時首都をバレンシアに置いたことがあったが、この詩はそうした共和国政府の苦境を描いたものだという。4行目の chartreux は chartre と同じとして「監獄」と解釈した *3アンドレ・ラモンはこの解釈をほぼそのまま踏襲した *4 。カタルーニャ地方の内戦に関する詩ではないかとしたセルジュ・ユタンも近い立場といえるだろう *5

 ヘンリー・C・ロバーツはガランシエールの読みを引き継いで、ノストラダムスと同時代人のユルネル・ヴォーシルという人物の星位図の読み(a reading of the horoscope of a contemporary of Nostradamus, Urnel Vaucile)に関する詩と解釈した *6 。しかし、その日本語版では、「アーネル・バーチル」はノストラダムスと同時代の占星術師の名前にされてしまった *7
 川尻徹はその日本語版の情報を信じ、冒頭は占星術師の隠喩と解釈し、アメリカに数多くいる占星術師たちがチャレンジャー号の爆発事件を誰も予言できなかったことを描いているとした *8

同時代的な視点

 エヴリット・ブライラーはモンモランシー大元帥に関する詩とした。彼はヴォーセルの休戦協定(truce of Vaucelles)に関わった。策士だった一方で「小心者」と揶揄されることもあった彼は、サン=カンタンの戦いでは大胆さで知られたサヴォワ公と争った。そこで敗れ捕らわれたが、スペインに移送されることはなかった。ブライラーはこの詩が1558年に出版されたという前提で、その時点ではまだモンモランシーは釈放されておらず、進行中の出来事を扱ったと見なした *9

 ルイ・シュロッセ(未作成)は、パヴィーアの戦いで捕虜となったフランソワ1世がモデルとした。フランソワはバルセロナに移送された後、捕虜に対するものとしては十分に豪勢な歓待を受け、その際に売春婦らが多く侍らされた。そのうち一人によって彼はカルトジオ修道院に連れて行かれ、それが当時噂になったという *10 。なお、シュロッセはこの詩を引用するにあたり Urnel Vaucile の二語だけを省き、解釈しなかった。

 ロジェ・プレヴォは、ローマ教皇アレクサンデル6世とその私生児チェーザレ・ボルジアがモデルとした。アレクサンデル6世の死は病死だが毒殺(あるいは誤った服毒による死亡)の疑いが付きまとった。その子チェーザレも同じ時に倒れて、一時重篤になり、自らも毒殺される可能性に怯え、ひどく弱気になった。彼はボルジア家に敵対的な教皇ユリウス2世によってスペインで投獄されたが、そのときには女性を伴っていた *11
 ピーター・ラメジャラーもこの読み方を支持した *12

 ジャン=ポール・クレベールは Urnel Vaucile を val de Lucerne (リュセルヌ渓谷)とし、異端のヴァルド派の拠点として知られたサヴォワ地方の渓谷とした。Barcelonne はバルセロナ(Barcelone)ではなく南フランスのバルスロネット(Barcelonette)のことで、「娼婦」は異端の女性達の蔑称だという。彼らは異端審問が行われたラ・グランド=シャルトルーズの修道院に送られた *13


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