百詩篇第5巻35番

原文

Par cité1 franche2 de la grand mer3 Seline4,
Qui porte encores5 à l'estomach6 la pierre:
Angloise classe7 viendra soubz la bruine,
Vn rameau prendre8 du grand9 ouuerte10 guerre11.

異文

(1) cité : Cité 1672 1712Guy
(2) franche : France 1588-89
(3) mer : Mer 1672 1712Guy
(4) Seline : seline 1588-89
(5) encores : encore 1594JFp.110 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668, encor 1653 1665 1672 1840
(6) à l'estomach : l'estomach 1672, à l'estomac 1772Ri
(7) classe : Classe 1712Guy
(8) Vn rameau prendre : Prendre vn rameau 1594JF 1605 1628 1649Xa 1672 1840, Un rameau prend 1712Guy
(9) du grand : de grande 1594JF 1628, de grand 1588-89 1605 1649Xa 1672 1840, du gragd 1644
(10) ouuerte : ouerte 1557B
(11) guerre : Guerre 1712Guy

校訂


日本語訳

塩辛い大洋の自由都市に
― そこは今も胃に石を持っている ―
イングランドの艦隊が霧雨の中を来るだろう、
小枝を取りに。偉人によって戦端が開かれる。

訳について

 1行目は Selinを salin とする校訂に従って訳した。原文どおりに訳すなら、「月の大洋の自由都市に」となる。par も訳し方はいくつかあるので、「~に」以外に「~を通って」などとも訳せる。
 4行目はピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールの読み方に従った。しばしば「大樹の小枝を取りに。戦端が開かれる」のように訳されることもあるが、前半律の区切れ目からすると不自然である。

 大乗訳1行目「地中海の自由市で」*3は、ヘンリー・C・ロバーツの英訳のほぼ直訳だが、la grand mer Seline を地中海と訳すのは不適切。もともとテオフィル・ド・ガランシエールは「月の海」(the Selyne sea)と英訳し、その解釈で地中海としたのだが(後述)、ロバーツはそうした説明を省き、英訳自体を「地中海」としてしまった。
 同4行目「開戦の小隊をせめるだろう」は、転訳による誤り。du grand が訳に反映されていない上、rameau を「小隊」と訳すのが疑問。

 山根訳は問題ない。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニーは1562年10月に位置づけ、ル・アーヴルにイングランド軍が三度上陸したことと解釈した*4

 テオフィル・ド・ガランシエールは、「月の大洋」は地中海のことだろうとした。ノストラダムスが生きていた時代には、その大半をオスマン帝国(「月」)が押さえていたからというのがその理由である。その「自由都市」はヴェネツィアのことで、「胃の石」は市中心部のサンマルコ大聖堂に建つ柱の比喩とした。それを踏まえて、この詩はヴェネツィアに艦船が襲来することと解釈した*5

 D.D.も「月の大洋」は地中海と解釈した。彼は百詩篇第5巻34番と一繋がりのものと捉えた*6

 バルタザール・ギノーは、塩が手に入る外洋に面しており、なおかつ中心部に住民たちが満足しない何らかの記憶がとどめられているフランスの都市についての予言で、そのときに英仏が戦争状態にあり、イギリス艦隊が王の息子の一人を奪いに来ることと解釈した*7

 19世紀末までに解釈したのは彼ら4人だけのようである。

 ヘンリー・C・ロバーツは、ガランシエールの解釈を踏襲し、ヴェネツィアに英国の艦隊が襲来することと解釈したが、時期などは示さなかった*8

 エリカ・チータムは、百詩篇第5巻34番と関係がある可能性や、三日月の海がジェノヴァ湾をさす可能性を指摘したが、具体的な事件とは関連付けなかった*9

 セルジュ・ユタンは第二次世界大戦初期にドイツ軍がダンツィヒを占領したことと解釈した*10。彼の原文では3行目の Angloise が Angoise (angoisse, 不安)と綴られている。ボードワン・ボンセルジャンの改訂では、1918年のイタリア軍によるトリエステ占領に差し替えられている*11

 ジョセフ・サビノはイギリスとアルゼンチンが争ったフォークランド紛争(1982年)と解釈した。mer Seline をスペイン語訳した mar salina から文字を抜き出し Malinas とし、ワイン(vin)を挟み込めばマルビナス(Malvinas, フォークランド諸島のスペイン語名)を導けると主張し、胃袋型のアルゼンチン本土の横に浮かぶ小さな石ころのような諸島を表現したのが2行目の「胃の石」だという。また、2行目から Port St という文字を抜き出し、ポート・スタンリー(PORT STanley, 東フォークランド島の中心都市)でアルゼンチン軍が降伏し紛争が終わったことも予言されていたとした*12

同時代的な視点

 エドガー・レオニは、「月の大洋の自由都市」について、ジェノヴァなどの候補も挙げてはいるが、イギリスの艦隊の侵略との関連から、三日月型のビスケー湾に面したラ・ロッシェルと解釈した*13
 ピエール・ブランダムールもラ・ロッシェルと解釈した*14
 ピーター・ラメジャラーもラ・ロッシェル(La Rochelle)とし、2行目は都市名の真ん中に「岩」(roche)を含んでいることの言葉遊びとした。彼はフロワサールの年代記に見られるラ・ロッシェル沖の海戦(1372年6月)がモデルと推測した*15。その戦いではフランスとカスティリャの連合軍がイングランド艦隊を撃破した。

 ジャン=ポール・クレベールは市の中心部にカイロー門(porte Cailhau ; cailhau は小石や砂利の意味)があるボルドーのこととし、百詩篇第2巻1番などと同じく1548年の反塩税一揆がモデルになっていると推測した*16


コメントらん
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  • 自由都市が上海なら、クリミア戦争の予言ではないか? -- とある信奉者 (2010-11-27 14:25:19)
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最終更新:2010年11月27日 14:25

*1 Brind’Amour [1996] p.485

*2 Petey-Girard [2003], Lemesurier [2003b/2010], Clébert [2003]

*3 大乗 [1975] p.158

*4 Chavigny [1594] p.110

*5 Garencieres [1672]

*6 D.D. [1715] p.76

*7 Guynaud [1712] pp.427-428

*8 Roberts [1949/1994]

*9 Cheetham [1973/1990]

*10 Hutin [1978]

*11 Hutin (2002)[2003]

*12 サビノ [1992] pp.125-129

*13 Leoni [1961]

*14 Brind’Amour [1996] p.485

*15 Lemesurier [2003b/2010]

*16 Clébert [2003]