Angolmois

 Angolmoisアンゴルモワ、日本ではしばしば「アンゴルモア」とも)は、恐怖の大王が登場することでも有名な詩百篇第10巻72番に出てくる固有名詞である。

 アンゴルモワの大王アンゴルモアの大王)という形で登場し、信奉者的な解釈ではことさらに謎語であるかのように語られがちだが、実際にはアングーモワ地方(Angoumois)を指すに過ぎない。

 当時、o と ou は交換可能な綴りであり、Angolmois と Angoulmois は実質的に同じ綴りである*1
 そして、アングーモワのことを当時 Angoulmois と綴っていたことは、フランス国立図書館の蔵書検索などでそれを表題に含む文献がいくつもヒットすることなどから、容易に確認することができる。
 それどころか、ノストラダムス自身が参照していた可能性が高いシャルル・エチエンヌの『フランス街道案内』(1552年)には、以下のようにアングーモワを Angolmois と綴っている箇所まである。

【画像】『フランス街道案内』(1552年)206ページ(抜粋)*2。「ポワトゥー(地方名)と Angolmois から」とあるほか、リュフェック(Ruffec, 現シャラント県内)が Roffec d'Angolmois と綴られている。

 ゆえに、「アングーモワの大王」(アンゴルモワの大王、アンゴルモアの大王)が、アングレーム=ヴァロワ家出身の16世紀のフランス王フランソワ1世のことであろうとする説は、歴史学者や仏文学者の分析では定説化しているといってよい状況にある。

 ちなみに日本語で Angolmois は「アンゴルモア」と表記されることが多いが、標準的なフランス語読みをした場合の発音記号で示せば/ãgolmwa/ となるこの綴りは、「アンゴルムワ」もしくは「アンゴルモワ」の方が現代フランス語での読みに近い。
 厳密に言えば、16世紀当時は oi の読みには [wa] [wè] [è] の三通りがあり、教養人の間では [wè] という発音が正しいと見なされた反面、パリ市民には [wa] という発音が広まっており、西部出身者はしばしば [è] と発音したらしい*3
 ゆえに、「アンゴルムウェ」などの表記のほうが当時の発音に近い可能性はあるが、それを言い出したら o と ou が交換可能であったことや、この -GOL- の L は発音していたのかなどの問題も発生するので、当時に『忠実な』読みを中途半端な根拠に基づいて表記に反映させることはあまり意味がないことと考える)。

信奉者側の見解

 以上の通り、本来ならば、Angolmois が Angoumois であることは自明といえた。
 17世紀の時点では信奉者のテオフィル・ド・ガランシエールは原文そのものを Angoumois と綴った上で、「アングーモワの大王」をフランソワ1世としていた*4。少し後の時期に活動したバルタザール・ギノーも、アンゴルモアの大王を「フランスの大王」の換称としており、アングーモワと見なした上での代喩と解釈したことが明らかである*5

 このように、当時の言葉遣いについての知識が残っていた時代には何の不思議もない言葉だったのだが、20世紀以降に通俗的な解釈者が多く現れると、特に英語圏や日本では、そうした語学的知識を持たずに(あるいは持っていてもセンセーショナルな解釈にそぐわないために無視して)様々な変則的な解釈がなされるようになった。また、アングーモワとする場合にも、そこに独特の意味合いが込められるようになった。

 以下、便宜的に「歴史出典型」「置換型」「アナグラム型」「合成型」「その他」に分類して、いくつかの例を挙げる。なお、この種の解釈は珍説・奇説の百鬼夜行の様相を呈していたので、当然すべての解釈例を網羅するものではない。

歴史出典型

 Angolmois をアングーモワないしアングレームとしつつ、そこにフランソワ1世以外の意味を見出そうとする解釈である。

  • ニューヨーク説
    • ピーター・ローリー(未作成)(1993年)は、フランソワ1世の時代にマンハッタンに到達したジョヴァンニ・ダ・ベラザノという人物が、フランソワ1世にちなんでマンハッタンにアングレーム島と命名したということを踏まえて、アンゴルモワとはニューヨークのことだったとした。ローリーはこの解釈を2001年のテロ後にも引き合いに出した*7

置換型

 置換型というのは、ここでは語学的根拠が全く不明な置き換えを指す。

  • ジャックリー説
    • ヘンリー・C・ロバーツ(1947年)の英訳では、Angolmois が Jacquerie に置き換えられていた*8。これは後のロバート・ローレンスによる改訂でもそのままになっている(ただし、解釈部分に後述するモンゴル説が追加されている)*9。ジャックリーの乱は1358年にフランス北東部で起こった大規模な農民一揆であって、南西部のアングレーム地方とは何の関係もなく、なぜそれがここで持ち出されるのか、まったく不明である。
    • ところが、日本では五島勉のミリオンセラー『ノストラダムスの大予言』(1973年)において、アンゴルモワはジャックリーを表す古語辞典に載っている単語で、スチュワート・ロッブもそう訳しているという全く事実無根の説明が展開された*10。五島は後にモンゴル説などへとシフトしていくが、その一方で、「死語になった古いラテン語のアンゴルス(終わりの前に起こる世界的な民族暴動)」*11、「アンゴルモワとは、語源的には大都会を離れて放浪する難民または暴民」*12などと、いずれもまともなラテン語辞典やフランスの古語辞典では確認できない主張も織り交ぜている。

  • 地殻変動説
    • 池田邦吉(1995年)は、1999年に起こる出来事をイタリアのベズビオ山の噴火と解釈し、アンゴルモワとはその後に起こる大地殻変動のことと解釈した*13。しかし、彼の『ノストラダムスの預言書解読』シリーズでも具体的な語学上の根拠は挙げられておらず、最終巻『アンゴルモアの大王篇』でも、他の詩篇の解釈からそう読む以外にないという間接的な論拠しか挙げられていない*14
    • 池田説を紹介した深野一幸(1996年)は、アンゴルモワはジャックリーのことでその暴動を地殻変動の比喩とするという連想とともに紹介されているが*15、これではかえって説得力をなくすだけだろう。

アナグラム型

 アナグラム型とは、文字の並べ替えによって何らかの解釈を導こうとするものである。

  • モンゴル説
    • Angolmois をアナグラムし、Mongolia(n)s や Mongolais を導く解釈で、ある時期以降の信奉者が多く採用している。ただし、フランス語での(国としての)モンゴルを意味するのは Mongolie で、モンゴル人・モンゴル語などを意味するのは mongol である。français (フランス人)、anglais (イギリス人)など、-ais は「~の人」を意味する接尾辞なので、mongolais というアナグラムなら、ノストラダムス流の造語と理解できなくもない。ただし、その場合も、16世紀当時には françois, anglois など、-ois だったということ(ノストラダムスの『予言集』にも現にそういう形でしか登場していないこと)との整合性が若干問題となるであろう。
    • 誰が言い出したのかはよく分からない。当「大事典」で把握している最も古い言及例は、懐疑論者のエドガー・レオニ(1961年)の英訳である。もしもこれが初出なのだとしたら、懐疑論者の提案した読み方が信奉者たちの有力説になってしまったという点で、少々皮肉にも思える。
    • 日本では恐らくコリン・ウィルソン『オカルト』あたりが最初の紹介ではないかと思われるが、五島勉の『ノストラダムスの大予言II』(1979年)で紹介されたことで広く知られるようになったのだろう。

合成語説

 合成語の場合、そっくり同じというわけにはいかず、たいていは程度の差はあれ、何らかの変形を施した2つ以上の単語の合成と解釈される。

  • 巨大な蛇説
    • 中村惠一は、ラテン語の angui と moles の合成語と解釈し、「蛇のような巨大なもの」「巨大な蛇」と解釈した。中村は地球に大洪水をもたらす氷彗星の接近が1999年に起こると考えていたため、その彗星の描写と解釈したのである*16

  • 神の御使いモーセ説
    • オウム真理教の麻原彰晃(1991年)は、Angolmois を Ang-ol-mois と分解し、Ang は天使(Ange)、-ol は「~出身の」を意味する接尾辞、mois は Moïse (モーセ)と理解し、「神の御使いモーセ」と解釈した*17。-ol という接尾辞はフランス語に実在する。ただし、接尾辞のため、普通は単語の最後に付くので語の中央に付くのは不自然である。また、mois /mwa/ (ムワ)と Moïse /mɔiːz/ (モイーズ)は綴りは似ているが、発音はまったく別である。

  • 大天使ミカエル説
    • 麻原とよく似た読み方をしているのがデイヴィッド・オーヴァソン(1997年)である。彼も Ang-ol-mois と分け、Ang を天使とするところまでは全く同じだが、OL は大天使ミカエルの異名の一つと解釈し、mois は「(暦の)月」のことで、ミカエルが7番目の月(獅子宮)の主であることを意味するとした*18。この解釈の場合、mois をわざわざつけている必然性に乏しいのではないだろうか。

  • 純金製の天使説
    • マンフレッド・ディムデ(未作成)(1991年)の解釈。ディムデはノストラダムス予言について、暗号で書かれているという視点から、単語の区切り目を変え、幾つかのルールによって省略や付加を行う解釈を展開した。その彼の翻訳ではアンゴルモワの大王が「純金製の天使」となっている*19。天使は ang の部分だろうと見当はつくが、どういう基準で読み替えたのか、具体的に示されていないので olmois をどう区切って読み替えると「純金製」になるのか、よくわからない。

その他

 上に述べた中に分類できない、あるいは上の説の幾つかの手法を複合させたり、一部を使うなどした説。

  • アヤトラ・ホメイニ説
    • 加治木義博(1990年)は、イランのアヤトラ・ホメイニを Ajatola Homeini と綴ったうえで、それとAngolmoisとはどちらもフランスの方言音であわせると「アジョルモワ」になるとして、アンゴルモワはアヤトラ・ホメイニだとした*20
    • しかし、「恐怖の大王=デクエヤル」説で詳しく指摘したように、ホメイニはフランス語ではAyatollah Khomeyni /ajatɔla kɔmɛni/(アヤトラ・コメニ)と表記・発音するので、根本的に破綻している。

  • 土星探査機カッシーニ説
    • 1999年7月以前には、土星探査機カッシーニがスイングバイに失敗して地球に落ちるとする説がいくらか見られた。堀江健一(未作成)(1998年)はその説に立ち、アンゴルモワはジャックリーの別名で、土星探査機の名前の由来になったジョヴァンニ・ドミニク・カッシーニの息子ジャック・カッシーニとつながるとした。さらに、ノストラダムスと同時代の造船業者ジャン・アンゴの名前が使われているとして、Angolmois の l は仕切り線で、mois は無視していいという記号だと解釈した*21

サブカルチャーでの受容

 日本の場合、特にサブカルチャーの領域では、恐怖の大王とアンゴルモアが同一視される傾向にある。「恐怖の大王」が固有名詞的でないので、分かりやすい固有名詞であるアンゴルモアが好まれるのではないかと思われる。

 中には『アンゴルモア 元寇合戦記』(たかぎ七彦、KADOKAWA)のように、純粋にモンゴルの換称として使われている例すらある。



登場箇所



※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。


コメントらん
以下に投稿されたコメントは書き込んだ方々の個人的見解であり、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。
 なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。

  • アナグラムではMongolia-sは蒙古の複数形だが、チンギスハーンのような武力侵攻をするアジア人を念頭に置いていたに違いなく、中国とその周辺国がその最有力候補。しかし二重の意味でそのままフランスの地名での意味も含んでいると思われる。 -- とある信奉者 (2010-09-05 01:26:39)

タグ:

用語
最終更新:2021年10月11日 18:53

*1 高田・伊藤 [1999] p.325

*2 画像の出典: Gallica

*3 フォン・ヴァルトブルク『フランス語の進化と構造』pp.160-161

*4 Garencieres [1672]

*5 Guynaud [1712] pp.360-361

*6 Fondbrune (1938)[1939]

*7 ローリー『2009年、人類はこう終わる』pp.8-9

*8 Roberts (1947)[1949]

*9 Roberts (1947)[1994]

*10 五島 [1973] 『ノストラダムスの大予言』p.157

*11 五島『エドガー・ケイシーの最終予告』p.241

*12 五島『ノストラダムスの大予言・地獄編』p.229

*13 池田『未来からの警告』pp.109-110

*14 池田『ノストラダムスの大預言解読VII』特にその第二章

*15 深野『ノストラダムス恐怖の開示録』p.28

*16 中村『ノストラダムス予言の構造』1982年、pp.212-213

*17 麻原『ノストラダムス秘密の大予言』pp.182-183

*18 オーヴァソン『ノストラダムス大全』1999年、pp.357-359(原書1997年)

*19 ディムデ『コンピュータが解いたノストラダムス全警告』pp.25-26 (原書1991年、邦訳1993年)

*20 加治木 [1990] 『真説ノストラダムスの大予言』pp.111-113

*21 堀江『ノストラダムスの謎をインターネットが解いた!』pp.105-119