迷い犬を発見した話

 「迷い犬を発見した話」は、ノストラダムスの予言者としてのエピソードの一つ。

伝説

 宮廷での滞在中には、ノストラダムス的な輝かしい伝説がボーヴォー家(Beauveau)の若き小姓(page)の小話に結びついている。その小姓は、世話を任されていた立派な犬が行方不明になってしまって、ある晩に困り果てて「サン=ジェルマン=ロセロワ近くの」ノストラダムスが逗留していた邸宅にやってきた。
 夜もかなり更けていたので、小姓は王の代理で参りましたと大声で叫んだ。そして訪問の目的を告げようとすると、それより先に扉越しにノストラダムスが叫んだ。「何事ですかな、王の小姓どの。迷い犬のためにそんなにも叫んだりして。オルレアンへの道へお行きなさい。そこで紐につながれたまま見付かりますよ」(Qu'est-ce que c'est, page du roi ? Que voilà bien des cris pour un chien égaré ! Allez sur la route d'Orléans, vous l'y trouverez, tenu en laisse.)。
 そして犬は(少なくともシャヴィニーが語るところでは)まさしくノストラダムスが言ったとおりに見付かったのである*1

コメント

 エドガール・ルロワによれば、この話の初出はシャヴィニーの『ミシェル・ノストラダムスの生涯と遺言』だという。その原本を参照できていないため、上ではルロワの研究書から引用させていただいた。ルロワの紹介は、原本からの引用を含んでいる一方、信奉者のものに比べて脚色が少ないと考えられるためである。

 さて、注意すべきは、ここでの「シャヴィニー」はノストラダムスの秘書だったジャン=エメ・ド・シャヴィニーではなく、匿名の著者によって権威付けに持ち出された「エドム・シャヴィニー」の方だということである。
 ジャン=エメ・ド・シャヴィニーによる伝記『ミシェル・ド・ノートルダム師の生涯に関する小論』(1594年)には、このようなエピソードは登場しない*2。そして、現在に至るまで、これを裏付けるような客観的な史料は見付かっていない。つまり、この話は『ノストラダムスの生涯と遺言』(1789年)を執筆した匿名の人物が創作したのではないかと疑われる。

 ジェイムズ・ランディ(未作成)は、このエピソードでノストラダムスがボーヴォー(王宮に出仕していた一族)の小姓を「王の小姓」と呼んでいることの不自然さを指摘している*3。たしかに、話を聞かないうちから用件を見抜けたのに、身分を正しく見抜けなかったというのもおかしな話である。
 ピーター・ラメジャラーは、(シャヴィニーを秘書の方と混同してはいたが)このエピソードにおいてノストラダムスの逗留先が本当にサン=ジェルマン=ロセロワ教会近くだったのかに疑問を呈している。ノストラダムスの実際の逗留先はサンス大司教でもあったブルボン=ヴァンドーム枢機卿の邸宅だったが、両者の位置的な検証は見られない。
 また、扉越しに応対するのは門衛の仕事であって、ノストラダムスがなぜそんなことをしたのかという点にも疑問を呈した*4

 要するに、18世紀末に突然登場した上に、基本的な舞台設定すら十分に練られていない出来の悪い伝説ということである。このような伝説を予言力の証明などとして持ち出すのは、贔屓の引き倒しに終わるだけだろう。

注記

 以上の記事は2011年01月31日 22:41(最終更新)に書いたものだった。

 当「大事典」管理者は、現在では、ルロワの指摘よりもさらにさかのぼる形で、このエピソードの初出と思われる情報源なども特定できているし、その結果、上のコメントのいくつかは不適切であったことは確認している。

 ただし、結論部分(「基本的な舞台設定すら十分に練られていない出来の悪い伝説ということである。このような伝説を予言力の証明などとして持ち出すのは、贔屓の引き倒しに終わるだけだろう」)は「18世紀末」云々を除けば、特に修正の必要がない。

 上の記事もいずれは大幅に改稿する予定だが、さしあたって、このエピソードに関する最新の調査の概要は『超能力事件クロニクル』に書いたので、そちらをご参照いただければ幸いである。


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最終更新:2020年10月27日 22:42

*1 この節は Leroy [1993] pp.82-83 から引用した

*2 姉妹サイトの対訳参照。

*3 ランディ [1999] pp.61-62

*4 ラメジャラー [1998b] pp.76-77