百詩篇第6巻24番

原文

Mars & le sceptre1 se trouuera2 conioinct,
Dessoubz Cancer3 calamiteuse guerre4 :
Vn5 peu apres sera nouueau Roy oingt6,
Qui par7 long temps8 pacifiera9 la terre10.

異文

(1) sceptre : scepte 1600 1610, Sceptre 1620PD 1672 1712Guy
(2) trouuera : trouueront 1620PD
(3) Cancer : cancer 1565TB
(4) guerre : Guerre 1712Guy
(5) Vn : Et 1565TB
(6) sera nouueau Roy oingt : le Roy aux princes ioinct 1565TB, sera nouueau roy oingt 1590Ro
(7) Qui par : Sera 1565TB
(8) long temps : long-temps 1620PD 1627 1644 1649Xa 1667 1668P 1712Guy 1716 1772Ri, longtemps 1611 1665 1840
(9) pacifiera : pacifiant 1565TB
(10) terre : Terre 1672 1712Guy

(注記)1565TB は偽『1565年向けの暦』での異文、1712Guy はバルタザール・ギノーの異文。なお、1594JF(p.290)にも収録されているが、特に異文はない。

日本語訳

マルスと王杖が交会するだろう、
巨蟹宮の下で。凄惨な戦争。
少し後で新しい王が聖油を塗られるだろう。
その者は長らく地上に平和をもたらすだろう。

訳について

 2行目の「巨蟹宮の下で」を星位と理解するならば1行目と結びつけるのが自然であり、ピエール・ブランダムールらに倣い、ここではそう読んだ。1行目とは独立に 「巨蟹宮の下で凄惨な戦争」 と読むことも可能ではある。

 山根訳は特に問題はない。大乗訳は3行目 「少しのあいだ新しい王が聖別されたあと」*1が誤訳。un peu apres は 「少し後で」 の意味。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニーアンリ4世に捧げた文章の中でこの詩に触れ、平和をもたらす新しい王をアンリ4世としている*2
匿名の解釈書『百詩篇集に関する小論あるいは注釈』(1620年)も、マルスと王杖の結びつきは王の死を意味するとし、アンリ3世の暗殺後に王になったアンリ4世によって(ユグノー戦争が終わり)平和がもたらされたと解釈した*3
 アンリ4世とする解釈はセルジュ・ユタンなども行っている*4

 バルタザール・ギノーは未来の情景としていたが、解釈はかなり漠然としている*5

 テオドール・ブーイは、占星術上、巨蟹宮に含まれるのはヨーロッパの一部とした上で、フランス革命期にそれを巡ってヨーロッパで大きな戦いが引き起こされたこととした。そして 「新しい王」 はナポレオンと解釈した*6

 アナトール・ル・ペルチエは、マルスを将来現れる 「偉大なケルト人」 に敵対する存在とし、それが別の王と結託して北回帰線(cancer du tropique)に含まれる地方、つまり 「エジプト、ペルシア、インド、中国、メキシコ」 などで凄惨な戦争を引き起こすことが、新しい王の即位に先立って起こると解釈した*7

 アンドレ・ラモンは、王杖を太陽と解釈し、太陽と火星の合は1942年秋に起こり、実際に戦争が激化していったので、それを鎮めるべきフランスの王アンリ5世が1944年には即位することになるだろうと解釈していた*8

 ヴライク・イオネスクはベトナム戦争と解釈している*9。1行目から2行目の星位はベトコンの戦力が絶頂にあった1966年8月に一致すると同時に、Cancerは北回帰線(cancer du tropique)の意味を含むことで地理上の位置も予言したとする。3行目の王はニクソンで、彼が停戦に導いたことを示すという。
 エリカ・チータムジョン・ホーグはこの星位を2002年6月と見て、未来の状況と解釈していた*10
 流智明(未作成)は第二次世界大戦後の日本とした*11

懐疑的な視点

 ブーイのように「巨蟹宮の下で」を占星術上の地理区分と捉える場合、マニリウス説で巨蟹宮の支配下にあるのは 「エチオピア、小アジア、アルメニア等」、プトレマイオス説ではアフリカとなる*12。これを西ヨーロッパに当てはめるのは無理があるだろう。

同時代的な視点

 「聖油を塗られる」 は王に即位することを意味する。
 「王杖」が神々の王ユピテルを象徴したもので、この場合木星を表しているとする点は、星位と解釈する場合には信奉者側も含め異論がない。
 ただ、イオネスクも 「火星 - 木星の合が蟹座の中で起こるのは十一年ないし十二年おきのことである」*13と指摘しているように、この星位はそれほど珍しいものではない。ピエール・ブランダムールはノストラダムスの時代以降で当てはまる時期として、1539年7月末から8月初旬、1551年4月末、1575年6月初旬から7月中旬、1586年7月中旬から8月末、1611年4月中旬から6月中旬を挙げている*14

 実証的な側でも具体的な事件との一致は提示されていないが、ピーター・ラメジャラーによれば、『ミラビリス・リベル』に見られる、未来に現れる偉大な君主のモチーフを下敷きにしている可能性がある。

その他

 大戦と名君の即位という分かりやすい描写のためか、偽『1565年向けの暦』の偽予兆詩(12月向け)や、アーサー・クロケットが百詩篇第12巻として紹介した詩(仮16番)など、偽の詩篇にも流用されている。


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コメントらん
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  • 巨蟹宮は地球が丸いと判っていた予言者の地域区分的にはモンゴル、ミャンマー、ヴェトナム、カンボジア、中国の大部分を含む。イオネスク説を支持するが、それにカンボジアの情勢を付け加えておく。木星と書かないで、王杖と書いたのは、ロンノル将軍がシアヌークに代わって王位に就いた事を意味していると思う。4行との対比で。 -- とある信奉者 (2013-03-25 18:25:08)

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百詩篇
最終更新:2013年03月25日 18:25

*1 大乗 [1975] p.181

*2 Chavigny [1594] p.290

*3 Petit discours..., p.15

*4 Hutin [1978]

*5 Guynaud [1712] pp.379-381

*6 Bouys [1806] pp.84-85

*7 Le Pelletier [1867a] p.323

*8 Lamont [1943] p.289

*9 イオネスク [1991] 『ノストラダムス・メッセージ』pp.123-125

*10 Cheetham [1990], Hogue [1997/1999]

*11 チータム [1988]

*12 羽仁礼『図解西洋占星術』p.107

*13 イオネスク [1991] p.124

*14 Brind’Amour [1993] p.260