原文
Vie1 sort2 mort de L'OR3 vilaine4 indigne,
Sera de Saxe non nouueau electeur5:
De Brunsuic6 mandra7 d'amour8 signe,
Faux9 le rendant10 au peuple seducteur.
異文
(1) Vie : Vif 1672Ga
(2) sort : soit 1591BR 1597Br 1603Mo 1606PR 1607PR 1610Po 1611 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1650Mo 1653AB 1665Ba 1716PR 1720To 1981EB
(3) L'OR : LOR 1568X, Lor 1590Ro, L'or 1591BR, l'or 1597Br 1603Mo 1606PR 1607PR 1610Po 1611 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1672Ga 1716PR 1720To 1981EB, I’or 1650Mo, l'OR 1840
(4) vilaine : vilain 1672Ga
(5) electeur : Electeur 1644Hu 1667Wi 1672Ga
(6) Brunsuic : Bruinsuic 1650Le, Brunsvick 1672Ga
(7) mandra : mandera 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1650Le 1653AB 1665Ba 1720To 1840
(8) d'amour : 'amour 1590Ro, d'mour 1605sn
(9) Faux : Fanlx 1568X
(10) rendant : rendra 1590Ro
校訂
ピーター・ラメジャラーは1行目の L'OR を L'ORDE (l'ordure, ごみ)と読む可能性を指摘しているが、妥当性は疑問である。
日本語訳
黄金による下劣で見下げた生死と不幸。
新しくない選帝侯はザクセン出身で、
ブラウンシュヴァイクの者に親愛の印を求めるだろう。
誘惑者たる民衆にとって彼は嘘つきになる。
訳について
この詩は全体的に訳が難しい。ここでは
ジャン=ポール・クレベールの読みをかなりの程度参考にしたが、彼自身、特に1行目についてはカオス的と評しているぐらいなので、確定的とはいえないだろう。
1行目はまさにカオス的で語順が全く不明瞭である。 vilaine は女性名詞につく形容詞なので or に係ることはない。おそらく vie, sort, mort に係るのだろう(sort は中期フランス語では女性名詞としても使えた)。単複が一致しないが、こういう係り方があることは従来から指摘されている。indigne は男性名詞にも女性名詞にも係るので特定しかねるが、ここでは vie, sort, mort にかかると判断した。or に係るのだとしたら、「見下げた黄金による下劣な生死と不幸」と訳せる。
2行目は non が何を否定しているのかによる。ここではクレベールの読みに従ったが、「ザクセン出身の新しい選帝侯はいないだろう」とも訳せるのかもしれない。
3行目もクレベールに従い、celui de Brunsvic の略と判断したが、「ブラウンシュヴァイクから彼は親愛の印を求めるだろう」とも訳せる。
4行目は seducteur がどこにかかっているかによる。ここでは peuple と並列的に捉えたクレベールの読みに従った。
以上のような理由で、既存の日本語訳についても断定的な論評は難しいが、少なくとも大乗訳1行目「あまりにも多くの黄金のために 生きながら死の状態で未知の悪人が」は誤訳。もとになったはずの
ヘンリー・C・ロバーツの英訳 The living die of too much gold, an infamous villainと比べても infamous を「未知」と訳すのがおかしいし、ロバーツの英訳自体 too much がどこから来たのか不明。
信奉者側の見解
テオフィル・ド・ガランシエールは、ザクセンの年老いていても健康な選帝侯が、突然に死ぬことを予言したもので、その死因はある女性が金杯に仕込んだ毒であろうとした。そしてブラウンシュヴァイクから来た者が親愛なふりをしてメッセンジャーとなり、民衆達に彼は誘惑者だったと信じさせることになるとした。
同時代的な視点
細部の読みはともかく、ザクセン選帝侯がモーリッツ・フォン・ザクセン(1521年 - 1553年、在位 1541年 - 1553年)のことだろうという点では、
ピーター・ラメジャラーと
ジャン=ポール・クレベールの読みは一致している。
モーリッツはプロテスタントに改宗したものの、自身の栄達のためにシュマルカルデン戦争(1546年 - 1547年)ではカトリック側である皇帝軍に加わった。ノストラダムスは seductive や seducteur といった単語でプロテスタントを喩えることがあったようだが、この場面でもそれを適用すれば、クレベールが疑問符付きながら示したように、ルター派の民衆を指すことになるだろう。
宗派の壁を無節操に飛び越えるモーリッツは、ルター派の民衆にとっては「嘘つき」以外の何者でもなかっただろう(ただし、モーリッツはのちにカール5世を裏切り、再びプロテスタント側に立っている)。
ちなみに、神聖ローマ皇帝カール5世は、シュマルカルデン戦争(1546年 - 1547年)の開戦にあたり、モーリッツだけでなくブラウンシュヴァイク=カーレンベルク大公も寝返らせていた。戦争中に窮地に陥ったモーリッツはその皇帝軍に助けを求め、戦況をひっくり返していた。
最終更新:2019年10月20日 01:19