百詩篇第6巻54番

原文

Au poinct du iour1 au second chant du coq2,
Ceulx de Tunes, de Fez3, & de Bugie4:
Par les Arabes captif le Roy5 Maroq,
L'an mil six cens & sept, de6 Liturgie7.

異文

(1) iour : jours 1672
(2) coq : Coq 1627 1672
(3) Fez : Fex 1588-89
(4) Bugie : Begie 1611B 1660, Bngie 1716
(5) Roy : roy 1557B 1589PV
(6) & sept, de : sept & de 1627 1644 1653 1665
(7) Liturgie : Linturgie 1589Me, Lithurgie 1644 1653 1665, L'iturgie 1660

校訂

 Bugie は Bougie と読むべきであろう。

日本語訳

夜明け、雄鶏が二度目に啼く時に
チュニス、フェズ、ベジャイアの人々。
アラブ人により、モロッコ王は囚われの身に。
典礼の千六百と七の年。

訳について

 1行目について。大乗訳の「日がやぶれ」*1というのは明らかにロバーツの英訳の“at the break of day”*2を逐語訳したもので、不適切である。

信奉者側の見解

 1607年にここにあるような出来事は起こらなかった。このため、信奉者の側では、外れたと見る立場と、「典礼の」という言葉に何らかの暗号があると見て数字を足し、より後の時代と見る立場に分けることができる。

 後者の場合、足される数字はヘンリー・C・ロバーツによる325年から信奉者時代のラメジャラーによる392年まで、論者によってかなり幅がある。

同時代的な視点

 ピエール・ブランダムールによれば、「典礼の」とは単に「キリスト紀元の」と同じ意味であるという*3。ノストラダムスは暦書でもたびたびこの年に触れており、強い関心を寄せていたようである。なお、他の年代と比べてなぜここだけ「典礼の」などとつけたのかについて、マリニー・ローズは詩の舞台がイスラーム圏なので、イスラーム暦ではなく西暦を用いていることを明示したと推測している。

 ピーター・ラメジャラーは、liturgie は l'Ityrie(レバノンの地名)と読める可能性を示唆している*4

 ロジェ・プレヴォは、1557年にモロッコ(サアド朝)の王がオスマントルコのアルジェ地方総督に殺害された事件が投影されていると見ている。それに先だってフェズ(ファス)やベジャイア(ブージー)では暴動が起こっていた*5



※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。


コメントらん
以下に投稿されたコメントは書き込んだ方々の個人的見解であり、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。
 なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。

  • 4行は西洋思想全体に影響を及ぼした教父のアウグスティヌスは 354年11月にアルジェリアで生まれた。彼の誕生日に1607を足すと1961、7を引くと1954。アルジェリア戦争は1954年11月から1962年にかけて行われた。1行はその戦争がインドシナの独立に影響された事を聖書の話を使って表現。モロッコもフランスから独立した。2~3行は三つのマグリブ諸国が、その時期にアラブ連盟に加盟した事。 -- とある信奉者 (2013-01-25 23:22:44)

タグ:

百詩篇 6巻
最終更新:2013年01月25日 23:22

*1 大乗和子訳『ノストラダムス大予言原典・諸世紀』p.188

*2 Roberts [1947/1949] p.197

*3 Brind’Amour [1993] p.258

*4 Lemesurier [2003b]

*5 Prévost [1999] p.97