父親と同じく商業を営んだが、1513年以降は活動拠点を出生地アヴィニョンから
アルルに移した。その商取引に関する記録がいくつも残っている。
この人物は、ノストラダムスの親族の中で唯一人「予言的」なエピソードが公証記録に残されている点で、特徴的といえるかもしれない。
それによると、1535年9月15日に、タラスコンの商人で改宗キリスト教徒であったトマ・ド・バレーム(Thomas de Barrème)と賭けをしたという。それは、トロフィム・ボワ(Trophime Boyc)という人物の妻ジャンヌ・ダルボー(Jeanne d'Arbaud)が妊娠しているかどうかということで、ジャンヌが結婚して46年になる女性であったにもかかわらず、ピエールは妊娠していると確言し、黄金の鎖を賭けたという。
ジャンヌは実際に妊娠しており、ピエールはバレームが賭けた金貨を獲得した。この賭けの証拠として、1536年10月3日付の領収書が残っている。
「大予言者」ノストラダムスの叔父にしてはいささか迫力不足だが、
竹下節子も指摘するように、ノストラダムス一族の「予言的」要素は、その伝説的イメージと裏腹に、実証的にはこの程度の話以外に見出せないということでもある。
最終更新:2011年04月07日 20:25