百詩篇第6巻86番

原文

Le1 grand Prelat vn iour apres son songe,
Interpreté2 au rebours de son sens:
De la Gascoigne3 luy suruiendra vn monge4,
Qui fera eslire le grand Prelat5 de sens6.

異文

(1) Le : Au 1557B 1589PV
(2) Interpreté : Interprete 1672
(3) Gascoigne : Gascogne 1557B 1568C 1568I 1589PV 1597 1600 1610 1650Le 1650Ri 1668 1672 1716 1772Ri, Gascongne 1605 1611 1627 1628 1644 1649Ca 1649Xa 1653 1660 1665 1840
(4) monge : Monge 1644 1653 1665 1672 1840
(5) Prelat(vers4) : prelat 1590Ro 1600 1610 1627 1650Ri 1716
(6) sens 1557U 1557B 1568 1589PV 1590Ro 1772Ri : Sens T.A.Eds.

校訂

 4行目の sens は Sens とすべきだろう。「意味」(sens)と地名の「サンス」(Sens)で韻を踏むパターンは百詩篇第1巻22番(未作成)にも見られる。

日本語訳

偉大な高位聖職者が夢を見た翌日、
― その意味は正反対に解釈される ―
彼をガスコーニュから来た修道士が突然訪ね、
サンスの偉大な高位聖職者を選出させるだろう。

訳について

 1行目は、un jour apres で「日中」ないし「翌日」を意味する成句だというジャン=ポール・クレベールの読み方に従った。「夢見の後のある日」と訳されることもしばしばである。

 山根訳はその「夢見の後のある日」で訳した例だが、特に問題はない。

 大乗訳は細かい点でどの行にも構文理解に不適切な点がある。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、monge について「修道士」(monk)の意味でないのだとしたら、自分が知る世界の言語で結び付けられるものはないと述べたり、サンスの地理的位置について解説してはいるが、具体的な事件とは結び付けていない*1

 その後も基本的に全訳本の類でしか触れられていないようである。
 セルジュ・ユタンは、未来の教皇選挙と関係がある可能性を示した*2

 エリカ・チータムは1973年の段階では一言も解釈しておらず、後の版でも何も解釈していないに等しいが、1973年版の日本語訳『ノストラダムス全予言』では、前半がヨハネ・パウロ1世の死(1978年)と結び付けられている*3

同時代的な視点

 ルイ・シュロッセ(未作成)イアン・ウィルソンは、ノストラダムスがパリの王宮を訪問した際にサンス大司教の邸宅に逗留したことと関連付けた*4。当時のサンス大司教ルイ・ド・ブルボンはガスコーニュの出身で、彼をモデルにした詩というわけである。
 ピーター・ラメジャラーは現在ではモデル不明としているが*5、かつてはルイ・ド・ブルボンに結び付けていた*6


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最終更新:2011年04月09日 13:57

*1 Garencieres [1672]

*2 Hutin [1978]

*3 チータム [1988]

*4 Schlosser [1986] p.217, wilson (2002)[2003] p.163. なお、シュロッセは当時のサンス大司教をシャルル・ド・ブルボンとしているが誤り

*5 Lemesurier [2003b/2010]

*6 ラメジャラー [1998a] pp.324-325