Chyren

  Chyren ないし Chiren はノストラダムス予言にしばしば登場する単語であるが、辞書等には見られない単語であり、ほぼ間違いなく彼の造語である。
 標準的なフランス語読みをすれば「シラン」もしくは「キラン」で、日本語文献でしばしば見られる読みのうち、「シーラン」 は許容されるにしても、 「シーレン」、「チレン」、「チラン」 などはいずれも不適切である。

 古典学者や仏文学者たちはプロヴァンス語人名ヘンリク (Henric) のアナグラムと見なしており、フランス語ではアンリ (Henri) に対応する *1 。ノストラダムスはしばしばアンリ2世を念頭に置いてこの語を用いたようである。

アンリとする根拠

 ノストラダムスは、『1557年向けの暦』の6月向けの予言において、「かの民を伝染性の悪疫からお守りくださいますようにと、・・・そしてこの偉大なCHYREN (ce grand CHYREN) に長命をお与えくださいますようにと、神に祈りましょう」 と表現し、 少なくとも同時代の人物であることをはっきり示していた *2

 また、オリジナルは現存しないが、『散文予兆集成』 に再録された 『1556年向けの予兆』 には、1556年8月向けの一部に、「偉大なCHYREN (le grand CHYREN) はこの上もなく迅速に臨時徴募歩兵連隊の大軍を編成し、『マルスの末裔たるヘクトールよ、幸あらんことを』 と称えられるだろう」(散文予兆集成第2巻96番 *3 ) という予言がある。

 それらのためかどうか、同時代のノストラダムスに批判的だったローラン・ヴィデルはその著書の中で、Chyrenがアンリのアナグラムであることと、フランス語式でないCを加える綴りがプロヴァンス語であることを指摘していた *4
 なお、コルモペード(未作成)が『1594年向けの暦』で百詩篇第6巻70番を盗用したときには、わざわざ C を削って Hiren と綴っていた。

 アナグラムをしたのは露骨さを避ける為だとしても、なぜプロヴァンス語式のヘンリクのアナグラムとしたのか。その点についてピエール・ブランダムールは、シャルルマーニュ(Charlemagne ; カール Karl 大帝)の再来を期待する中世の予言 (いわゆる世界最終皇帝の予言に連なるものである *5 ) では、未来に現れる大君主が C または K で始まる名前と予言されていたことに関係があったのではないかと指摘した *6

 Chyrenをアンリと見なす読み方は、仏文学者や古典学者の間では定説化しているといってよいものであるが、ジャン=ポール・クレベールは Chrien とアナグラムして Chrestien (キリスト教徒) の語中音消失と解釈した *7ジャン=エメ・ド・シャヴィニーの『散文予兆集成』の題名では、実際にキリスト教徒の意味で Chrien が使われていることが、傍証として指摘されている。当「大事典」では支持しないが、面白い仮説ではあるので紹介しておく。

信奉者的な解釈

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニーは確かにChyrenをアンリとする解釈を認識していた。実際、上記の1557年6月向けの予言を『散文予兆集成』に再録した時には、欄外に「民衆のため、そしてガリアの君主アンリ2世のための祈り」と注記していた *8
 ところが彼は、のちに公刊した文献では、Chyrenを当時の国王アンリ4世のこととする解釈を展開した。シャヴィニーは『ミラビリス・リベル』の予言なども引き合いに出し、アンリ4世こそが世界最終皇帝であるとする解釈を展開していたので *9 、『七星集』において Chyren の出てくる百詩篇第2巻79番をアンリ4世と結び付けている *10

 19世紀のアナトール・ル・ペルチエは詩によってはアンリ4世とする一方、未来に現れる偉大な君主アンリについてとも解釈していた *11

 20世紀になると、ヘンリー・C・ロバーツなどが、百詩篇第6巻70番の Chyren について、近未来に現れる世界政府の指導者ヘンリーであるとする解釈を展開した。日本でこの解釈を広めたのは五島勉の『ノストラダムスの大予言II』(1979年)であろうと思われ、そこでは「ヘンリー・C」と記載されたため (ロバーツは Henryc は現代の Henry であるとし、Cは削っていた)、日本ではこれに追随する論者が何人も現れた。

 川尻徹は、当初は C を除いて hiren とし 「ヒレン」 → 「日レン」 → 「日蓮」 とする奇説を展開していた *12 。しかし、別の著書ではアンリ2世への手紙の宛名が Tres Chrestien Henry Roi de France Second となっていることに着目し、Chyren とは C(hrestien) HENRY のアナグラムであると主張し、近未来に現れる世界的指導者のことと解釈した *13

 これらに対して加治木義博は、ノストラダムスは序文でアナグラムを使ったと断っていないので使っていなかったと主張し *14 、未来の日本に現れる偉大な指導者「チラン」のことであると主張した *15

コメント

 『1557年向けの暦』などでノストラダムス自身がこれを同時代に置いている以上、彼の言う Chyren は同時代の人物と考えざるをえないし、そうなればアンリ2世と見なすのが最も自然であろう。

 Chyren を未来の世界的な指導者や独裁者とする解釈は、16世紀において、世界最終皇帝の伝説が 『ミラビリス・リベル』 やテレスフォルスの 『小著』 などを通じて広く知られていたことと対比するならば、時代的文脈を踏まえていない説であると言わざるをえない。

 『1557年向けの暦』の内容を最初に紹介したのはピエール・ブランダムール(1996年)であり、それまで Chyrenがその文献において言及されているとは知られていなかった。ゆえに、未来の偉人であることを隠すためのカモフラージュといった説も通らないだろう。すぐに存在自体全く省みられなくなった文書でカモフラージュしたところで、何の意味もないからである。

 なお、アナグラムを使っていないとする主張には無理がある。それは当時の文人たちにとって、ごく当たり前の技法であって、ノストラダムスがよほど暗愚な詩人でもない限り、わざわざ断りを入れて使うような技法ではなかったからである(アナグラム参照)。

登場箇所


 ほか、上述の通り、1556年向けや1557年向けの暦書の中で使用されている。


コメントらん
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  • 第4巻34番の“CHYREN”は、古代ギリシャ都市のキュレネ (Cyrene) 、リビア東部キレナイカ(Cyrenaica) のアナグラム。 -- れもん (2015-12-13 10:02:55)
  • 第6巻27番の“CHYREN”は、地獄の番犬であるギリシア神話のカローンのアナグラム。 -- れもん (2015-12-13 10:11:22)
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