百詩篇第1巻65番


原文

Enfant 1 sans mainsiamais 2 veu si grand foudre 3 :
L'enfant 4 royal 5 au ieu d'oesteuf 6 blessé.
Au 7 puy brises 8 : fulgures 9 allant mouldre :
Trois sous 10 les chaines 11 par le milieu troussés 12 :

異文

(1) Enfant : Enfants 1588-89 1605 1628 1649Xa
(2) mainsiamais 1555 : mains iamais T.A.Eds. (sauf : main, iamais 1589Me, main iamais 1660)
(3) foudre : fondre 1589Rg, Foudre 1672
(4) L'enfant : Lenfant 1605, L'Enfant 1672
(5) royal : Royal 1588-89 1590SJ 1591BR 1597 1600 1605 1610 1611 1627 1628 1630Ma 1644 1649Ca 1649Xa 1650Ri 1650Le 1653 1665 1668 1672 1716
(6) d'oesteuf : d'esteuf 1588-89 1649Ca 1650Le 1668 1672, d'oestuf 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665, doesteuf 1605 1649Xa, d'estoeuf 1660
(7) Au : Du 1588-89
(8) brises : brisez 1588-89 1590SJ 1649Ca 1644 1650Le 1653 1665 1668 1672, brisés 1627 1630Ma 1650Ri
(9) fulgures : fulgure 1653 1665
(10) sous : sur 1649Ca 1650Le 1668 1672
(11) chaines : chênes 1627, chénes 1630Ma, chesnes 1644 1653 1665, chaisnes 1668P, champs 1672, ehaines 1716
(12) troussés : troussé 1589PV 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668

校訂

 1行目 mainsiamais は明らかに mains iamais となっているべき。
 3行目 brises をピエール・ブランダムールは brisé と校訂している。確かに、単数の puy に対応させるならば、その方が適切である。

日本語訳

両手のない子供、かつて目撃されたことのない極大の雷。
王家の子は球戯で傷つけられる。
落雷で壊れた井戸に粉を挽きに行くと、
三人はその途上で鎖に繋がれる。

訳について

 大乗訳1行目「手のない子はいなずまをけっして偉大なものとはみない」 *1 は、冒頭に par を補えば成立の余地があるが、適切かどうかは微妙である。少なくとも、ピエール・ブランダムール高田勇伊藤進ピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールらは、そのような読み方を採用していない。
 同2行目「王の子は競技の場で負傷し」も、細かいことを言えば不適切。oesteuf はポーム競技で使う球のことであり、単なる「競技」ではその意味合いが反映されない。
 同3行目「山の向こうで いなずまは打ち砕き」について。puy を「小山」と訳すことは、直訳としてはむしろ正しい。ただし、前出の論者はいずれも puits (井戸)と見なしている。また、大乗訳では allant moudre が訳に反映されていない。
 同4行目「三人は野原のまん中で打たれるだろう」は、millieu を「まん中」と訳したのは問題ないとしても、trousser を打たれるとした理由が不明。

 山根訳3行目「雷電は井戸を撃って合流する」 *2 は「合流する」というのもよく分からないが、大乗訳同様 allant moudre が訳に反映されていない。これはエリカ・チータムの英訳の時点でそうであった。
 同4行目「柏の下で胴体をくくられた三人に」の「柏」は chaine を古フランス語に従って chêne と同一視したものだが、現在では支持されていない(ラメジャラーは2003年にはその可能性を支持していたが、2010年には「鎖」としている)。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、ほとんどそのまま敷衍したようなコメントしかつけていなかった *3
 その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、バルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードマックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)アンドレ・ラモンロルフ・ボズウェルの著書には載っていない。

 五島勉は1行目だけを抜き出し、foudre を英訳すればサンダーボルトで、それは英国の爆撃機の名前だから、英国の核実験を指しているとし、「両手のない子供」はサリドマイド禍(睡眠薬としてサリドマイドを服用した妊婦から奇形児が生まれ、かつて大きな社会問題となった)と解釈した *4 。五島は『ブロワ城の問答』でノストラダムスがシャルル9世にこの詩を示したとも述べていたが、明らかに創作である。

 セルジュ・ユタンもかつては1行目だけ解釈し、サリドマイド禍としていたが *5ボードワン・ボンセルジャンの改訂では、1行目と3行目の雷はヒロシマの原爆で、2行目の王家の子は大日本帝国、4行目の三人は日独伊の三国同盟とする解釈に差し替えられている *6

同時代的な視点

 ピエール・ブランダムールは、両手のない子供の誕生と、未曾有の暴風雨が、2行目と3、4行目に描写された2つの事件の予兆になっていると見なした。
 そのうち、2行目の描写は、1536年にポーム競技に興じた後に容態が急変し、死に至った王太子フランソワがモデルとした。
 また、粉挽き場は、当時の戦争や攻囲戦では戦略的に重要な意味を持ち、それを使おうとする側と壊したり使用人を捕らえたりしようとする側が対立するものであるとした上で、その例として、ブレーズ・ド・モンリュックの著書から、1536年にカール5世の軍がフランスに侵攻した際に、オリオル(Auriol)では製粉機を搬出して皇帝軍の補給を阻害した話や、ブヌ(Bene)では都市に兵糧をもたらし攻囲を解かせるために、夜間の刈り取りや製粉場への水の引き入れが行われたことなどを挙げた *7

 ピーター・ラメジャラーは、マルクス・フリュトスキウス(Marcus Frytschius)の『大気現象論』(De meteoris, 1552年)の中に、ザクセン地方で空から火が降った話やミセナ(Mysena)で手のない子供が生まれた話が出てくることなどを指摘した *8


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