ジョーム・ド・ノートルダム

  ジョーム・ド・ノートルダム (Jaume de Nostredame, 1470年頃 - 1547年頃)は、ノストラダムスの父。アヴィニョンとサン=レミで、商人、公証人などとして活動した。
 ジョメ・ド・ノートルダム(Jaumet de Nostredame)、ジャック・ド・ノートルダム(Jacques de Nostredame)、ジャック・ド・サント=マリー(Jacques de Sainte-Marie)などとも記録され *1 、ラテン語名はヤコブス・デ・ノストラ・ドミナ(Jacobus de Nostra Domina)である *2

生涯

 ジョームは1470年頃にアヴィニョンで生まれた *3 。父ピエールの死は1485年頃で、ジョームが15歳頃にあたっている。ジョームは当初父の職をついでアヴィニョンで商業と貸金業を営んでいたが、1495年5月14日にプロヴァンス州サン=レミレニエールと結婚したのを機に、サン=レミに転居した。

 サン=レミでは義父ジャン・ド・サン=レミ夫妻と同居し、多くの支援を受けた。そのときにジャンからジョームに贈られた財産には、家具付の住居、農家(mas)、あちこちに点在する小牧場、ブドウ畑、果樹園などが含まれていた *4

 ジョームはレニエールとの間に七男一女をもうけた(ジャンという名の弟が2人いたとすると八男一女である。もう一人のジャンを参照のこと)。そのうち、長男(おそらく第二子)に当たるのが、医師・占星術師として名を成すことになるミシェル(ノストラダムス)である。

 ジョームは、ミシェルの誕生と前後する時期から、商人としてだけでなく公証人としても活動するようになる。

 1512年には、ルイ12世が戦費徴収のために改宗キリスト教徒(元ユダヤ教徒)に対して課した特別税として、25リーヴルを支払ったことが記録されている *5 。ちなみに、アルル在住だった弟ピエールも支払っている。
 信奉者たちの中には、この記録を元に、ノストラダムスの一族が1512年に改宗したなどと主張する者たちがいるが、ロベール・ブナズラの言葉を借りるなら、「1512年の書簡や王令の読み方を知らない」連中だということになるだろう *6

 さて、サン=レミには、ラ・トゥール・ド・カニヤック(La Tour de Canillac)という飛び地が存在していた。それはかつて単に「ラ・トゥール」と呼ばれていたが、14世紀にトゥールーズ大司教レモン・ド・カニヤック(Raymond de Canillac)枢機卿が隠棲したので、ラ・トゥール・ド・カニヤックとかラ・トゥール・デュ・カルディナルと呼ばれるようになった。
 16世紀にその封土はトマ・ポワトヴァン(Thomas Poytevin)とジャン・トルナトリス(Jehan Tornatoris)が共同領主(co-seigneurs)として治めており、ジョームは1513年以降、彼らの公証人や代書人(scribe et greffier)を務めた。
 1521年まではラ・トゥールの公証人を務めていたらしいが *7 、1519年8月13日から少しの間は、ラ・トゥールで貴族アントワーヌ・アルメラン(Antoine Alméran)が務めていた小法廷代官(le baïl de la petite cour de justice)の代理にも任命されていた。この時期にジョームは貴族の仕事の代理をしているという理由で「貴族」を自称していた。エドガール・ルロワが指摘するように、後にノストラダムス一族は経歴の粉飾などを行うが、そうした貴族への強いこだわりが史料中に見出せる最初の例といえるだろう *8

 1540年10月22日には、フランソワ1世からフランスの市民権を公式に認められた。ジョームは教皇領だったアヴィニョンの生まれである一方、その職歴のほとんどはフランス領内で蓄積されていたことから、市民権(国籍)の問題が存在していたのである *9

 ジョームの遺言書は3通確認されているが、1534年から1535年にかけてのもので、ピエールルイという息子2人の存在を明らかにする上では役に立ったが *10 、没年の特定には寄与しない。

 正確な没年は明らかになっていないが、1547年2月6日付の文書で、ジョームの息子たちを共同相続人とする記述が見られることから、1546年末から1547年初め頃に歿していたと推測されている *11

 以上の経歴から、予言や占いとの関係はほとんど見出されないが、1989年7月の古書販売目録では、編者不明の予言書『ミラビリス・リベル』の編者に帰せられることがあると紹介された。ジャン=ポール・ラロッシュ(未作成)がまとめたショマラ文庫の目録でも、疑問符つきでこの見解が踏襲されているため *12 、リヨン市立図書館のオンライン目録でも同じように扱われている。
 しかし、これは単に、伝説的なノストラダムス一族の認識に基づいて、誤って関連付けられたものではないかと思われる。


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