百詩篇第7巻25番

原文

Par guerre1 longue tout l'exercité2 expuise3,
Que pour souldartz4 ne trouueront5 pecune:
Lieu6 d'or, d'argent7, cuir8 on viendra cuser,
Gaulois ærain9, signe10 croissant11 de Lune12.

異文

(1) guerre : Guerre 1712Guy
(2) tout l'exercité 1557U 1557B 1568A : tout l'exercite 1568B 1568C 1568I 1590Ro 1605 1628 1644 1649Xa 1650Ri 1650Le 1653 1668 1672 1712Guy 1772Ri, tout l'excide 1627, tout l'exercice T.A.Eds.
(3) expuise 1557U 1557B 1568A 1590Ro : expuiser 1568B 1568C 1568I 1605 1611B 1628 1649Xa 1772Ri 1840, espuiser 1672, expulser T.A.Eds.
(4) souldartz 1557U 1557B 1568 : soldats T.A.Eds. (sauf : soldartz 1590Ro, soldars 1628, Soldats 1672 1712Guy, soldarts 1772Ri)
(5) trouueront : treuueront 1627
(6) Lieu : Lien 1665
(7) d'or, d'argent : d'Or, d'Argent 1672, d'or, dargent 1772Ri
(8) cuir : car 1557B, cair 1672
(9) ærain : ærin 1627, airein 1650Ri, airin 1653 1665, Ærain 1672 1712Guy
(10) signe : siege 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716
(11) croissant : Croissant 1712Guy
(12) Lune : lune 1557B 1653 1665 1840

校訂

 ブリューノ・プテ=ジラールは、tout l'exercité をl'exercite と校訂した*1。tout を省いたのは後半律の音節に配慮したものだろう。ジャン=ポール・クレベールはそのように読んでいないが、l'exercité は l'exercite としている。実際、文脈から言えば、l'exercite とするのが妥当だろう。
 1行目末の expuise も、3行目との韻からすれば expuisé ないし expuiser とすべきである。クレベールやピーター・ラメジャラーは前者を採り、プテ=ジラールは後者を採っている。

日本語訳

長い戦いによって軍全体が消耗しきる、
兵たちのための銭貨もなくなるであろうほどに。
金や銀に替えて人々は革で鋳貨するようになるだろう。
ガリアの銅貨、三日月の刻印。

訳について

 山根訳は問題ない。
 大乗訳もおおむね許容範囲内だが、2行目「それで兵隊は立ちあがる だがお金をみつけることもなく」*2は誤訳だろう。「立ちあがる」がどこから来たのか不明である。

信奉者側の解釈

 テオフィル・ド・ガランシエールは、西インド諸島が発見される以前には、ヨーロッパ諸国は財政的に厳しい国々があり、スペインは鉛で鋳貨したことがあったとした上で、将来、長い戦争によってそのようなことが再び起こると解釈した*3

 バルタザール・ギノーは、1658年に再版されたバルザックの『アリスティープ』(Balzac, Aristipe, Paris, Augustin Courbé, 1658)という文献に、「時代の悲惨。君主よりも時代を咎めるほうがましだ。この公的な悲惨は、貨幣を鉄や皮革で作らせている」とあることを引用し、ルイ13世の治世下で成就したようだとしていた。ただし、ギノーは、ノストラダムスが述べているのは銅貨であって鉄の銭貨ではないことも指摘した*4

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)は、1937年頃のフランスが財政的に困窮している様子と解釈した。「三日月」というのは、当時の新聞が1914年以降の財政難を、月の満ち欠けのようにも見える図柄(下図)で例えたことと関連付けた*5

【画像】『ル・ジュール』1937年2月26日*6

 セルジュ・ユタンは、2度の世界大戦に巻き込まれたフランスではないかとした*7

同時代的な視点

 ジャン=ポール・クレベールは、トロンク・ド・クドゥレの記述では、フランソワ1世の時代にイタリア戦争で疲弊した結果、金貨や銀貨にかえて皮で鋳貨され、その後パヴィアの戦いで人質となった国王を救い出すために、引き続きそのような悪貨が使われたとあることを指摘した。また、それ以前の時代にも貨幣を皮革で作ったという記述があることや、そうした記述はスパルタ人のものにまで遡れることも指摘した*8


※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
最終更新:2011年04月26日 22:29

*1 Petey-Girard [2003]

*2 大乗 [1975] p.208

*3 Garencieres [1672]

*4 Guynaud [1712] pp.255-257

*5 Fontbrune (1938)[1939] pp.111-112

*6 画像の出典:Fontbrune (1938)[1939] p.111

*7 Hutin [1978]

*8 Clébert [2003]