ベルトラン・ド・ノートルダム

  ベルトラン・ド・ノートルダム (Bertrand de Nostredame, 1518年 - 1602年以降)は、ノストラダムスの弟の一人。ジョーム・ド・ノートルダムレニエール・ド・サン=レミの間に生まれた。プロヴァンス州サン=レミの商人、軍人。
 「ベルトラン・ド・ノストラダムス」とも名乗った。ノストラダムスの弟でノストラダムスを名乗ったのは、ジャンとベルトランだけである。

生涯

 プロヴァンス州サン=レミで、1518年の6月4日から7月10日の間に洗礼を受けた *1 。日付が曖昧なのは、現存している史料が不完全な形でしか残っていないためだという。名付け親が、代父ベルトラン・ユゴラン(Bertrand Hugolin)、代母ジョルダーヌ・ド・ラ・メール(Jordane de la Mer)ということは分かっている。

 1540年頃にラマノンの領主の娘であるトミーヌ・ルースと結婚した。トミーヌとの間には、クロードジャンジャンヌカトリーヌリュクレースブランシュという二男四女をもうけることになる。

 1556年には、サン=レミにおいて「ブルジョワにして商人」と記録されている。この時期には、サン=レミの法廷の書記(greffe)とも記録されている。

 1559年から1561年の間には、アニェス・ペレ(Agnès Pellet)という未成年女性の法定代理人を務めていたらしいが、どういうつながりだったのかはよく分からない。

 宗教戦争が始まると、プロヴァンス総督のタンド伯クロード・ド・サヴォワに仕え、1568年以降、その「従者・平貴族」(escuyer)、「射手」(archer)、「騎兵」(gendarme)などと記録されている。 Capitaine (隊長ないし大尉)を冠して記録されることもあった。かなりの財を成し、1573年から1574年にはサン=レミの第一執政官にも選出された。

 ベルトランの没年は分からない。最後の記録は1602年4月10日付のもので、そのときにはおよそ84歳となっていたため、おそらく遠からぬ時期に歿したのだろう *2


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