ブランシュ・ド・ノートルダム(Blanche de Nostredame, 1555年 - 1568年以前)は、
ベルトラン・ド・ノートルダムの末娘で、ノストラダムスの姪にあたる。
サン=レミで生まれたはずだが、1555年11月19日の洗礼には、すでに
サロンの市民となっていた
ノストラダムスが代父として立ち会った。ノストラダムスが甥や姪の洗礼に代父として参加した例は、今のところ他に確認されていない。
なお、代母は、グランヴィルの総督(gouverneur de Granville)でブラントームの著書にもその名が出てくる武官ジャン・ド・レノー(Jean de Reynaud)の妻ブランシュ・ド・ジェラント(Blanche de Gérente)である。
ブランシュ・ド・ノートルダムの名は、1568年11月11日付のベルトランの遺言書には見られない。そのため、13歳の誕生日を迎えるよりも前に亡くなったものと推測されている。
最終更新:2011年05月05日 19:33