詩百篇第8巻4番


原文

Dedans Monech le coq1 sera receu2,
Le Cardinal3 de France apparoistra4
Par Logarion5 Romain sera deceu6
Foiblesse à l'aigle7, & force au coq8 naistra9,

異文

(1) coq(vers1)/cocq : Coq 1644Hu 1653AB 1665Ba 1672Ga 1720To 1840
(2) receu : reçeû 1716PR(a c) 1720To, reçeu 1716PRb
(3) Cardinal : cardinal 1981EB
(4) apparoistra : appastra 1627Ma 1627Di
(5) Logarion : Logation 1606PR 1607PR 1610Po 1716PR 1840, Legation 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1650Le 1653AB 1665Ba 1668 1720To 1981EB
(6) deceu : deçu 1720To
(7) l'aigle 1568 1590Ro 1610Po 1772Ri : l'Aigle T.A.Eds.
(8) coq (vers4)1568 1590Ro 1650Ri 1772Ri : Coq T.A.Eds.
(9) naistra : croistra 1672Ga

校訂

 Logarionは何らかの誤植を含んでいる可能性がある。文脈からして最も妥当なのは Legation だろう。

日本語訳

モナコで雄鶏が歓待されるだろう。
フランスの枢機卿が現われるだろう。
教皇特使によってローマ人は欺かれるだろう。
鷲には弱さが、雄鶏には強さが生じるだろう。

訳について

 3行目はジャン=ポール・クレベールの読み方に従った。前半律の切れ目からするとそれが妥当だが、エドガー・レオニピーター・ラメジャラーのように、「ローマの特使によって(彼は)欺かれるだろう」とも訳せる。

 既存の全訳についてコメントしておく。
 大乗訳1行目「モナコでおん鳥は信じられて」*1は、recevoir (受け入れる、迎える、歓待する)の訳として「信じる」が妥当かは、やや疑問である。

 山根訳は問題ない。その3行目の訳し方も、上で述べたように区切りによっては成立する。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、三十年戦争中にフランスとスペインの戦いの中で、フランスがモナコに入ったことと解釈した。「枢機卿」はリシュリューとした*2

 その後、20世紀までこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードの著書には載っていない。

 セルジュ・ユタン(1978年)は、未来の教皇選挙でフランス出身の教皇が選出されることかもしれないとした*3

同時代的な視点

 エドガー・レオニは、イタリア戦争ではスペイン寄りだったモナコがフランスの保護下に入るという見通しを示したものとした。その一方、史実は逆に、1605年にスペイン軍がモナコに駐屯した一方、フランスは1559年のカトー=カンブレジ条約によってイタリアから手を引くことになったと指摘した*4
 エリカ・チータムはこの解釈をほとんど引き継いだが、一部の文章を丸写しにまでしているのに、レオニの名は挙げていない*5

 ピーター・ラメジャラーは2003年の時点では、オグミオスで喩えられるアンリ2世についての予測としていた。
 だが、2010年には、ウルリヒ・フォン・フッテン(Ulrich von Hutten, 1488 -1523)のエピグラムを基にした、フランス(雄鶏)と神聖ローマ帝国(鷲)の争いの描写とする解釈に差し替えた*6。フッテンは急進的な反ローマの論者だった。


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詩百篇第8巻
最終更新:2020年05月13日 02:22

*1 大乗 [1975] p.231

*2 Garencieres [1672]

*3 Hutin [1978]

*4 Leoni [1961]

*5 Cheetham [1973]

*6 Lemesurier [2003b/2010]