アントワーヌ・ド・ノートルダム

  アントワーヌ・ド・ノートルダム (Antoine de Nostredame, 1523年 - 1597年以降)は、ノストラダムスの弟の一人。ジョーム・ド・ノートルダムレニエール・ド・サン=レミの間に生まれた。プロヴァンス州サン=レミの役人、法曹家。

 1523年4月27日に洗礼を受けた記録がある。1547年から1597年までについては、公証人バディナンクによる記録に多く見出せる。このため、そのときまで生きていたことは確かだが、正確な没年は不明である *1 。ラメジャラーは1597年没としていたが *2 、明らかに誤認だろう。

 職業は記録によって様々で、1550年から1551年にはサン=レミの徴税吏 (exacteur de la taille)、1557年にはサン=レミ市の代訴人 (procureur)、1558年にはサン=レミ市の執政官 (consul) および法廷の書記 (greffier) などとして記録されている。また、しばしば「プラチシャン」 (praticien) という肩書きが名前に付けられている。プラチシャンとは、「訴訟手続きに通じている人」 *3 、「臨床医」などの意味があるが、この場合は前者だろう。

 正確な時期は不明だが、カヴァイヨンのロワーズ・ベルル(未作成)と結婚し、名前が分かっているだけで10子をもうけた。

アントワーヌの子

 女児のほとんどは出生時の洗礼記録か結婚契約くらいしか知られていない。


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