百詩篇第2巻18番

原文

Nouuelle1 & pluie2 subite impetueuse3
Empeschera subit4 deux5 exercites6.
Pierre7, ciel8, feuz9 faire la mer10 pierreuse,
La mort11 de sept terre12 & marin13 subites.

異文

(1) Nouuelle : Nouelle 1600
(2) & pluie : pluye 1589Me, Pluie 1672
(3) impetueuse : & impetueuse 1589Me
(4) subit : à subit 1600
(5) deux : d' eux 1611B 1660
(6) exercites : exercices 1600 1605 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1668
(7) Pierre : Pierrre 1627
(8) ciel : Ciel 1589PV 1672 1712Guy
(9) feuz 1555 1840 : feux T.A.Eds. (sauf : feu 1588-89, Feux 1672)
(10) mer : Mer 1672
(11) mort : mert 1600 1610 1716, mer 1627 1644 1650Ri 1653 1665
(12) terre : Terre 1672
(13) marin : matin 1600, Marin 1672

校訂

 初版も含めて1行目が Nouvelle & pluie となっている原文が一般的だが、ピエール・ブランダムールは & を省いている。この読み方はブリューノ・プテ=ジラールジャン=ポール・クレベールらが支持しており、ピーター・ラメジャラーも英訳においては実質的にそう読んでいる。

 エヴリット・ブライラーは Nouvelle & pluie を Nivelle & pluie (霧と雨)と読み替えていた。

日本語訳

新しく烈しい突然の雨が、
二つの軍隊を不意に妨げるだろう。
石と空と火が石だらけの海を作り出す。
七人の死が海と陸とで突然に。

訳について

 上の訳は校訂の結果を踏まえた。
 3行目は直訳したが、空から「火と石」もしくは「火の石」(ピエール・ブランダムールは雷と理解)が降ってくるということだろうから、そういう意訳も誤りとはいえないだろう。
 4行目「七人」はブランダムールの読みに従ったものだが、原文からは単位が「人」とは断言できない。

 既存の日本語訳について。
 大乗訳はおおむね問題はないが、2行目「二つの軍隊が急にじゃまし」*1は不適切。動詞の活用形から、「二つの軍隊」を主語にとることは出来ない。
 3行目「石 天 火は 海をたちまちにしてつくり」は、「たちまちにして」に該当する語がない一方、「海」を形容している pierreuse (石だらけの)が訳に反映されていない。

 山根訳1行目「風聞(ニュース) 思いがけぬ豪雨が突然襲いかかり」*2は、標準的な Nouvelle & pluie となっている原文の訳としては別におかしくないが、後半は言葉を補いすぎに思える。Nouvelle を除くと雨を形容しているのは subite (突然)と impetueuse (烈しい)だけである。
同3行目「石と火が空から降って石の海を創るだろう」は前述の理由によって許容される意訳だろう。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、ほとんどそのまま敷衍し、前半は2つの軍隊が突然の豪雨で戦いを中断することになる予言で、後半は驚異に関する描写とした*3バルタザール・ギノーも似たようなもので、二つの軍隊を妨げる豪雨や、空から降ってくる石などについての予言とした*4

 アンリ・トルネ=シャヴィニーは、1588年の「バリケードの日」に先立つ情景と解釈し、7人の死とはアンリ2世の7人の子女と結びつけた*5
 この解釈はジェイムズ・レイヴァーに引き継がれた。レイヴァーは、前半2行を、バリケードの日に先立ってモンタルジーで決戦しようとしたギーズ公の軍勢と敵軍とが、突然の豪雨のために退却したことに合致するとした*6エリカ・チータムはその解釈を踏襲した*7

 ロルフ・ボズウェルはヨハネの黙示録と類似する詩篇の一つとして紹介した*8

 ヘンリー・C・ロバーツはノルマンディ上陸作戦と解釈した。これは後の改訂版でも堅持されたが、日本語版の方では、核爆発の情景とする韮沢潤一郎の解釈が追記されている*9

 セルジュ・ユタンは「ひどい海戦の描写」としかしていなかったが、その補注を行なったボードワン・ボンセルジャンは核兵器を使った戦いを描写している可能性を示した*10

 ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは、20世紀末に起こると想定していた大戦で、ワルシャワ条約機構に加盟していた旧ソ連をはじめとする東側諸国7か国が没落する予言と解釈していた*11藤島啓章も1990年代に起こる東西の大戦における、東側7か国の敗戦と解釈していた*12

同時代的な視点

 ピエール・ブランダムールは、雹を伴う嵐が7人の死を引き起こすという簡略な解説しか付けていなかった*13

 ピーター・ラメジャラーはユリウス・オブセクエンスの記録との類似性を指摘した。オブセクエンスは紀元前186年、前102年、前94年、前91年などに石の雨が降ったと記録しており、特に前186年には天からの火と石の雨が降ったとある*14
 ラメジャラーはほかに、コンラドゥス・リュコステネスが記録している石のような大きな雹の話に触発された可能性を示していた*15


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最終更新:2011年11月09日 22:40

*1 大乗 [1975] p.75

*2 山根 [1988] p.84

*3 Garencieres [1672]

*4 Guynaud [1712] pp.265-267

*5 Torne-Chavigny [1860] p.5

*6 Laver [1952] p.83 / レイヴァー [1999] p.130

*7 Cheetham [1973/1990]

*8 Boswell [1943] pp.328-329

*9 Roberts [1949/1994], ロバーツ [1975]

*10 Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]

*11 Fontbrune (1980)[1982]

*12 藤島 [1989] pp.227-228

*13 Brind'Amour [1996]

*14 Lemesurier [2003]

*15 ibid.