詩百篇第12巻52番


原文

Deux corps1, vn chef. champs diuisez en deux:
Et puis respondre à quatre2 non ouys.
Petis3 pour Grands.4 à Pertuis5 mal pour eux,
Tour6 d'Aigues7 foudre8. pire9 pour Enssouis10

異文

(1) corps : coups 1667Wi 1668P 1689PA 1689Ma 1689Ou 1689Be
(2) à quatre : a quatre 1605sna 1672Ga 1689PA
(3) Petis 1594JF 1628dR : Petits T.A.Eds.
(4) Grands : grands 1611A 1611B 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1667Wi 1697Vi 1698L 1720To 1780MN
(5) à Pertuis : apertius 1605sn 1649Xa, à pertuis/pertuits 1627Ma 1627Di 1628dR 1644Hu 1650Le 1650Ri 1653AB 1665Ba 1667Wi 1668 1689PA 1689Ma 1689Be 1691AB 1697Vi 1698L 1720To, a pertuis 1649Ca, a pertius 1672Ga
(6) Tour : Tout 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1697Vi 1698L, Tours 1689Ma 1689PA
(7) d’Aigues : d’Aiguës 1691AB
(8) foudre : coudre 1653AB 1665Ba 1697Vi 1720To
(9) pire : Pire 1611A 1611B
(10) Enssouis 1594JF 1611A 1611B : Eussouis T.A.Eds.

日本語訳

二つの体、一つの頭。野は二分割される。
そして四人の聞こえぬ者たちに返事をする。
大人〔たいじん〕に対して小人〔しょうじん〕。ペルチュイでは彼らに災禍。
ラ・トゥール・デーグで落雷、アンスウィにはよりひどい災厄。

訳について

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 2行目 「それから四つが一つになり」*1は誤訳。元になったはずのヘンリー・C・ロバーツの英訳では、きちんと And then answer to four unheard ones と訳されている。
 3行目後半「水門はかれらに悪く」は、確かに pertuis に「水門」の意味もあるので誤訳とは言えないが、初出の原文では固有名詞となっているので、妥当性は疑問である。
 4行目前半「水の塔は光にうたれ」の「水の塔」としているが、これは誤りとはいえない。11世紀から14世紀のフランス語には「水」を意味する aigue という単語があったからである*2。ただし、ロバーツの英訳では単なる The tower of Aigues となっていた。他方、「光」はロバーツの英訳にある lightning を見間違えた語訳ではないだろうか。

信奉者側の見解

 ジャン=エメ・ド・シャヴィニー(1594年)は、1588年のプロヴァンスにおける騒乱と解釈し、ペルチュイ(Pertuis)、ラ・トゥール・デーグ(La Tour d’Aigues)、アンスウィ(Enssouis)は、いずれもプロヴァンスの小さな町だと注記している*3

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、「二つの体、一つの頭」は、アンリ4世がナヴァル王国とフランス王国を統合したことを示すのではないかとした。さらに、四行目の「エーグ」はエーグモルトの略で、その町の塔が落雷に遭うという意味だろうと解釈した*4

 ジョン・ホーグ(1997年)は(apertius を clear、Tour d'Aigues を Tower of Aiguesmortes、Eussouis を Essoyes と訳した上で)第二次世界大戦のフランスとドイツの衝突に結び付けている*5

 五島勉(1973年)は Tour d'Aigues を「鋭い塔」=「高層ビル群」、Enssouis→Euffovis を「既にそうなってしまったケダモノ」を意味する造語と捉え、核戦争後の惨憺たる情景を予言したと解釈した*6

 川尻徹(1987年)は、大乗訳の「水門」を英語に直すと「ウォーターゲート」になるとして、ウォーターゲート事件(1972年)を予言しているとした*7

同時代的な視点

 1605年版に誤植が多いことはよく知られている*8。この詩はそれが影響して意味不明になってしまった不幸な例であろう。初出であるシャヴィニーが注記するように、ペルチュイ(Pertuis)、ラ・トゥール・デーグ(La Tour d’Aigues)、アンスウィ(Enssouis)は、いずれもプロヴァンスの町と見るべきで、これらの町はアンスウィの綴りが Ansouis になっているのを除けば、今もそのとおりの名前で残っている。
 それを踏まえるなら、本来この詩は(本物であれ偽物であれ)プロヴァンスに限定された局地的な事件の予言のはずで、第二次世界大戦や核戦争後の惨状などとは結び付きようがないであろう。

 内容的には、プロヴァンスの小さな町に災いが訪れ、奇形の誕生がその前兆になると理解できる。現代ではかなり差別的に見えるモチーフだが、当時としては奇形と災厄を結びつける言説はしばしば見られたのである(第2巻54番ほか)。

 シャヴィニーはこの詩を1588年のプロヴァンスでの騒乱と解釈したが、発表されたのは1594年なので、事後予言が疑われるべきであろう。

その他

 1672Gaでは52, 55, 56, 59, 62番が、なぜか4, 5, 6, 7, 8番という、不適切な通し番号が振られている。これは1685年版でも直っていない。




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詩百篇第12巻
最終更新:2018年11月14日 02:21

*1 大乗 [1975] p.312。以下、この詩の引用は同じページから。

*2 DAF

*3 Chavigny [1594] p.252

*4 Garencieres [1672Ga]

*5 Hogue [1997]

*6 五島 [1973]

*7 川尻徹『ノストラダムス暗号書の謎』pp.136-137

*8 cf. Benazra [1990]