百詩篇第7巻14番

原文

Faulx exposer viendra topographie 1 ,
Seront les cruches 2 des monumens 3 ouuertes:
Pulluler secte 4 , faincte 5 philosophie 6 ,
Pour blanches, noires, 7 & pour 8 antiques vertes 9 .

異文

(1) topographie : Topographie 1672
(2) cruches : Urnes 1672
(3) monumens : Monuments 1672
(4) secte : Sectes 1672
(5) faincte : saincte 1597 1610 1611B 1644 1660 1650Ri 1653 1665 1672
(6) philosophie : Philosophie 1611B 1627 1644 1650Ri 1653 1672 1716 1840
(7) blanches, noires, : blanche & noire 1716
(8) & pour : pour, & 1653 1665
(9) antiques vertes : antique verte 1716

日本語訳

地誌に描かれた場所が虚偽をさらけ出すことになるだろう。
遺跡の甕は開かれるだろう。
― 偽りの哲学の学派がはびこる(ごとき謬見が正され) ―
白き(甕)が黒きに、古代の(甕)が真新しきに。

訳について

 1行目 topographie は普通「地形図」「地誌」などの意味だが、ノストラダムスは「セザールへの手紙」の中では、そのような地形図に採録された場所の意味で用いている可能性が指摘されている *1 。また、ジャン=ポール・クレベールは、『化粧品とジャム論』の中で、ローマの古代遺跡を見るという場面で topographie と表現している例があることを指摘し、「見るべき場所」の意味で使われている可能性を示した *2 。上で「地誌に描かれた場所」と訳したのは、そうした読み方を意識したことによる。
 なお、ピーター・ラメジャラーは1行目の Faux を「鎌」の意味にとって、「鎌が地形をさらけ出すだろう」のように読んでいる。

 2行目以降は主としてクレベールの読み方に従った。特に3行目は隠喩と見なす彼の読み方に従い、挿入的に捉えた上で言葉を補った。若干強引なようだが、4行目は明らかに2行目と直結しているので(4行目の4つの形容詞は全て女性形でなおかつ複数形になっている。この詩には複数形の女性名詞は2行目の cruches しかないため)、十分に説得力はあるものと思われる。

 既存の訳についてもコメントしておく。
 大乗訳はおおむね許容範囲内だが、3行目「分派は二重になり 聖なる哲学は」 *3 は、若干不適切。puller は「(急速に)繁殖する、蔓延する」の意味である。「聖なる哲学」は不適切だが、採用した底本に基づく違いなので、誤訳ということではない。
 山根訳もおおむね許容範囲内で、1行目「偽りの地誌をあばきに彼はやってくる」 *4 も可能な訳である。ただし、2行目「墓の遺骨があばかれる」は若干意訳がされている。 cruche を「骨つぼ」の意味に解釈した結果だろうが、「遺骨」とまで限定するのは訳しすぎに思えなくもない。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)は、解釈した当時のイングランドにおけるキリスト教分派の叢生や、聖なることが冒涜されている状況を完璧に描き出しているとした *5

 その後、19世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストの著書には載っていない。

 アンリ・トルネ=シャヴィニー(1860年)が、フランス革命期から第一帝政期にかけて王や聖人の墓が荒らされたことと解釈すると *6 、それに追随する論者が増えた。
 アナトール・ル・ペルチエ(1867年)は関連する解釈を整備した。まず1行目の topographie は地図に書かれた行政区画と理解し、フランス革命を境にかつての州が県に置き換わったことと解釈した。
 2行目はトルネ=シャヴィニーと同じでサン=ドニの王墓が荒らされたこととし、3行目はキリスト教を否定する考えが広まったことを指し、4行目は新しい様式によって伝統が排除されたことを指すと解釈した *7
 この解釈はチャールズ・ウォード(1891年)、ジェイムズ・レイヴァー(1952年)、エリカ・チータム(1973年)、セルジュ・ユタン(1978年)、竹本忠雄(2011年)らが支持している *8
 コリン・ウィルソンの『オカルト』でも扱われていたため、その訳書(初版1973年)の存在によって、日本でも比較的早い時点に紹介されていた。なお、コリン・ウィルソンはこの詩の monumens が nomumens と綴られていると主張していたが *9 、上の異文欄からも明らかなように、古い版にそういう異文はない。彼が依拠した現代の文献に誤植があっただけなのではないだろうか。

 なお、マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)(1939年)とアンドレ・ラモンは、1930年代の国際連盟が国境線の策定に失敗したことなどと解釈した *10

同時代的な視点

 ジャン=ポール・クレベールは特定のモデルを示していないが、詩の情景は「ある場所での調査の結果、従来は古代の特定の人々(白)の墓だと思われていたものが、もっと新しい時代の全く別の人々(黒)の墓だと判断される。だが、間違った学説は、異端の宗派の教えがはびこるのと同じように、広く知られていた」といったものだろうとしている。

 ロジェ・プレヴォも(異端を比喩とすることも含めて)基本線の読み方は同じである。彼の場合、昔のサロン=ド=プロヴァンスについて、新しい発見によって旧説が覆されるようになることを指すとしていた *11 。もっとも、彼の場合、その発見は1557年9月の大洪水で古代遺跡が露出したことによるものとしていたが、この詩の初出は1557年9月6日のことなので、それをモデルにしたと考えることはできない。

 ピーター・ラメジャラーは、むしろサン=レミ近郊のグラヌム遺跡で何らかの古代遺跡が発見されることを想定したものではないかとし、それが異端派の広まりの凶兆となることを言ったものではないかとした *12

 当「大事典」としてはクレベールの読み方が文脈によく当てはまっていると考えるが、仮にラメジャラーのように読むとしても、何らかの古代遺跡の発見によって旧説が覆されることを示している点にかわりはない。



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