原文
La legion
1 dans la marine
2 classe 3
Calcine 4 ,
Magnes 5 soulphre
6 , & poix
7 bruslera :
Le long repos de lasseurée
8 place
9 :
Port
Selyn 10 , Hercle feu
11 les consumera
12 .
異文
(1) legion : Legion 1672
(2) marine : Marine 1656ECL 1665 1672
(3) classe : clace 1627, Classe 1712Guy
(4) Calcine : Caline 1627, Calciue 1656ECL(p.123)
(5) Magnes : magnes 1627, Magne 1649Ca 1650Le 1668, Magues 1656ECL(p.123), magne 1712Guy
(6) soulphre : souffre 1557B, surphre 1665, Souphre 1672, solphre 1716
(7) poix : Poix 1672
(8) lasseurée 1555 1557U 1590Ro 1611B 1660 1840 : l'asseuree T.A.Eds. (sauf : lasseuré 1568A, lassurée 1627, l'assurée 1656ECL 1712Guy)
(9) place : Place 1712Guy
(10) Selyn : selyn 1588-89
(11) Hercle feu : Here, le feu 1588-89, Herc le feu 1589PV 1649Ca, Herle feu 1668P, chercher, feu 1656ECL 1672, Herc. le feu 1712Guy
(12) consumera : consomera 1557B, consommera 1588-89
(注記)1656ECL は
1656年の解釈書 での異文。なお、4行目の異文は同書 p.244 のものだが、p.123 では、chercher : feu と、間の句読点がヴィルギュル(カンマ)ではなく、ドゥーポワン(コロン)になっている。
校訂
日本語訳
海の艦隊の一軍団を、
カルキスとマグネシアは硫黄と松脂で燃やすだろう。
安全が保障されていた場所の長い静穏。
その人々を
ポール・スラン とエルクルは火で焼き尽くすだろう。
別訳
海の艦隊の一軍団が、
石灰、マグネシア、硫黄、松脂を燃やすだろう。
安全が保障されていた場所での長い静穏。
ポール・スランとエルクル、火はそれらを焼き尽くすだろう。
訳について
ブランダムールの2行目の読み方はかなり特殊なもので、
ブリューノ・プテ=ジラール 以外の支持者は見出せない。
ブランダムールは3、4行目について、3行目の「安全な場所」と4行目の「ポール・スラン・エルクル」を同じものと見なして、「安全な場所、すなわちポール・スラン・エルクルで長く静穏に過ごしている人々を、火は焼き尽くすだろう」のように読める可能性を挙げている。そのように、ブランダムールは Port Selyn, Hercle についてヴィルギュル(カンマ)を誤りと見なし、ひと繋がりの地名の可能性も示していた。その可能性についてだけは、後述するように
ロジェ・プレヴォ が支持していた。
ジャン=ポール・クレベール は3行目の「安全な場所」と4行目の「ポール・スラン」を同一の場所と見なしたが、 Herc(u)le は直後の feu とひとつにまとめ、「安全な場所、すなわちポール・スランでの長い静穏は、ヘラクレスの火によって焼き尽くされるだろう」のように読んでいる。もっとも、4行目の前半律は Hercle までなので、妥当性は疑問である。
既存の日本語訳についてコメントしておく。
大乗訳 2行目「だんだんと焼けて イオウやピッチのようになり」は誤訳。
ヘンリー・C・ロバーツ の英訳で Calcining Greatly, shall burn brimstone and pitchとなっていることを踏まえたのだとしても、その正しい訳になっていない。
同3行目「ずっとたって安全な場所に」も不適切。repos (休息、静穏)が訳に反映されていない(ロバーツの英訳にはきちんと rest が含まれている)。
同4行目も明らかに異質だが、それは Hercle が chercher になっている底本に基づいたのも一因であろう。
山根訳 は、伝統的な読み方としてはおおむね問題ない。その4行目「セリンの港 モナコは火に焼きつくされるだろう」で唐突にモナコが登場しているのは、後述する解釈によるものである。
信奉者側の見解
1656年の解釈書 では、1555年の海戦の予言とされた。
3行目は1347年以降イギリス領となっていたカレーのことで、4行目は
スランの港 を海港の意味にとって、カレー=ドーヴァー間の海域でディエップの軍勢がスペイン軍と交戦したことと解釈した。前半の行は、イギリス軍も参入したその海戦で、多くの艦船が炎上したことだという。
テオフィル・ド・ガランシエール はこの解釈を踏襲した。
バルタザール・ギノー は、フランスの海港にある難攻不落だった城塞都市が、将来において陥落することと解釈した。ただし、時期も場所も明記しなかった。
アンドレ・ラモン は将来起こるヨーロッパに対する侵略戦争において、パリとコンスタンティノープルが炎上する予言とした。ラモンは2行目の magnes をラテン語の magnus からの借用として大都市(パリ)、4行目の
スランの港 をコンスタンティノープルと解釈した。
ロルフ・ボズウェル は
スランの港 をシチリアのカステルヴェトラーノ近郊にあった古代ギリシアの植民地セリヌス (Selinus) と解釈し、古代以来長らく破壊されることがなかったその地域にも爆撃があることの予言とした。
ヴライク・イオネスク は
Selin を月と解釈し、月に対応する金属は銀、石は真珠であることから、この場合のスランの港はハワイの真珠湾とした。それに基づき、彼はこの詩を日本軍による真珠湾攻撃(1941年)と解釈した。
この解釈は
飛鳥昭雄 や
竹本忠雄 が踏襲した。なお、彼らの訳ではスランの港が「真珠の名をもつ港」(飛鳥)、「真珠(セレネ)の湾」(竹本)とされているが、解釈をまじえて訳しすぎである。
同時代的な視点
ピエール・ブランダムール は、2行目を古代ギリシアの向かい合った都市カルキスとマグネシアと理解し、4行目の Port Hercle ないし Port Selyn Hercle はイタリアのグロッセートの港ポルテルコーレ (Port'Ercole) だろうとした。ポルテルコーレは1554年にイタリアに侵攻するフランス軍にとって重要な港だった。ただし、詩全体の情景について、ブランダムールは特定のモデルなどを挙げていない。なお、
ロジェ・プレヴォ は、Port Selyn Hercle は一纏まりで読むべきで、ヘラクレスと三日月が一緒に出ているのは、アンリ2世のパリ入市式において、オグミウス(ガリアのヘラクレス)の下に三日月を抱える2体の巨人像が置かれていたデザインに触発されていると推測した。
4行目の Port Hercle は従来、モナコと読まれることが多かった。モナコのラテン語名が Portus Herculis Monoeci だからである。
エドガー・レオニ や
エヴリット・ブライラー はそちらをとっていたが、ブランダムールはそれを支持しなかった。
さて、少なくとも前半2行について上記の「別訳」に近い読み方をとる
エドガー・レオニ 、
エヴリット・ブライラー 、
ロジェ・プレヴォ 、
ジャン=ポール・クレベール らは、いずれも「ギリシアの火」についての描写とした。ギリシアの火はビザンティン帝国が秘中の秘としていた発火性の液体で、金属管から噴出させて使うなどし、一度敵船を炎上させると容易には鎮火できなかったという。ただし、その製法は現在では失われており、詳細な成分などは不明である。
ただし、彼らも詩の全体についてのモデルは挙げていない。
【画像】関連地図
※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
コメントらん
以下に投稿されたコメントは書き込んだ方々の個人的見解であり 、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。
なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。
三日月(スラン)は本来イスラム教の象徴なので真珠湾攻撃の他に、イスラム教の国のマレー沖海戦(1941年12月10日)と大日本帝国陸軍による、国旗に三日月が描かれている シンガポールの戦い(1942年2月7日~2月15日)も同時に予言されている。 -- とある信奉者 (2020-02-18 00:03:39)
最終更新:2020年02月18日 00:03