テオドール・ブーイ(Théodore Bouys, 1751年-1810年5月18日)は、フランスの数学者。本名はジャン=テオドール=クロード・ブーイ(Jean-Théodore-Claude Bouys)だが、自著では単にテオドール・ブーイと名乗っていた。
ヌヴェール(Nevers)に生まれ、父フランソワ=テオドール=クロード=ルイ・ブーイ(François-Théodore-Claude-Louis Bouys)から選挙管理委員長(Président de l’election)の職を引き継いだが、フランス革命によってこの職を失った。1800年にニエーヴル県の中央学校(l’école centrale)の数学科教授となり、その後中等学校でも教鞭をとった。
ノストラダムス関連
この著書では
百詩篇第9巻20番をヴァレンヌ事件に、
同34番を8月10日事件に、
百詩篇第10巻17番をマリー・アントワネットにあてるといった「古典的」な解釈がいくつも提示されている。フランス革命に直接触れた人物として、当然それへの思い入れは強かったものと考えられるが、革命中には多くのパンフレット類が出まわっていたため、革命関連の彼の解釈で「元祖」と呼べるものがどれだけあるかは分からない。
レオニが指摘するように、ブーイもテクストの改竄を辞さないタイプの論者であり、信頼性の点で大きく劣る。
最終更新:2009年02月05日 21:43