セザール・ド・ノートルダムの証言が正しいのなら、当初の
ノストラダムスの墓碑もこの2字で始まっていた。この点はクレベールも指摘していた。
ノストラダムスの墓碑は古代ローマの歴史家ティトゥス・リウィウスの墓碑の翻案というべきもので、その影響もあったのかもしれない。
なお、19世紀に再建された現在の墓碑は D.O.M. (「至高にして善なる神に」を意味するキリスト教徒の墓碑の定型句)で始まっており、セザールの証言を確認することは出来なくなっている。
なお、
ピエール・ロレ(未作成)、
ロベール・ブナズラ、クレベールたちはノストラダムスの手稿『
オルス・アポロ』の締めくくりに 「彼ら(エジプト人たち)は冥府の神々を呼び寄せるときに、死者の魂をD.M. と呼んでいた」(Comment ilz (les Egyptiens) appelloient les dieux infernaulx, qu'ilz appeloient Manes D.M.) という一文があることを指摘している。
過去の信奉者たちが提示した説としては以下のものがある。
- 1656年の解釈書では、「南の下降点」(Descendant Meridional des planetes) の略とされ、星位のこととされていた。
※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
最終更新:2012年02月27日 23:26