詩百篇第1巻28番


原文

La tour1 de Bouq2 gaindra3 fuste4 Barbare5,
Vn temps6 long temps7 apres barque8 hesperique9,
Bestail10, gens, meubles11 tousdeux12 feront grant tare13,
Taurus & Libra14 quelle15 mortelle picque!16

異文

(1) tour : Tour 1672Ga
(2) Bouq 1555 1557U 1557B 1568X 1568A 1588-89 1589PV 1590Ro 1590SJ 1612Me 1649Ca 1650Le 1840 : Boucq T.A.Eds. (sauf : Bouk 1672Ga)
(3) gaindra 1555 1840 : craindra T.A.Eds.
(4) fuste : feste 1589Rg
(5) Barbare : barbare 1589Me
(6) Vn temps : Ve temps 1589Me, Veu temps 1612Me, Un tems 1716PRb
(7) long temps : longtemps 1605sn 1628dR 1649Xa, long-temps 1644Hu 1665Ba, long tems 1716PRb
(8) barque : barqne 1611B, Barque 1672Ga
(9) hesperique : hesperique? 1653AB 1665Ba, Hesperique 1672Ga
(10) Bestail : Bestial 1557B 1590Ro 1672Ga
(11) meubles : meuble 1589PV 1590SJ
(12) tousdeux 1555 : tous deux T.A.Eds.
(13) feront grant tare : feront grand'tare 1649Ca 1650Le 1668, grand tare 1716PRb
(14) Libra : libra 1627Di
(15) quelle : qu'elle 1649Xa 1716PRb
(16) picque! 1555 1627Di 1627Ma 1644Hu 1650Ri 1653AB 1981EB 1665Ba 1840 : picque? 1557U 1557B 1568 1590Ro 1591BR 1597Br 1606PR 1607PR 1610Po 1611A 1611B 1672Ga 1716PR 1772Ri, picque(.) 1588-89 1589PV 1590SJ 1605sn 1612Me 1628dR 1649Xa 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668

校訂

 tousdeux は当然 tous deux とすべき。

日本語訳

ブークの塔でバルバロイの軽量船が(帆を)高く掲げるだろう、
ヘスペリアの船から長い時を隔てて少しの間。
どちらも家畜、人々、家財に大損害をもたらすだろう。
金牛宮と天秤宮(の間に)、何という致命的な死闘か。

訳について

 1行目 gaindra は現代語の guinder の綴りの揺れ gaind(e)re の活用形である*1

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目「ブークの塔は 野蛮で古臭いカビのにおいを恐れるだろう」*2は全く意味不明だが、ヘンリー・C・ロバーツの英訳をそのまま転訳したものである。「恐れる」は gaindra (高く掲げるだろう) がほとんどの版で craindra (恐れるだろう) になっていたことを考慮すれば仕方がないが、fusteが「古臭いカビのにおい」(musty odor)とされた根拠は全く分からない。ロバーツが基にしたはずのテオフィル・ド・ガランシエールの英訳ではきちんと Fleet があてられている。
 2行目「そしてスペインの悪知恵を恐れてずっと」は誤訳。ロバーツが船のつもりで用いた craft を訳し間違えたのだろう。
 3行目「牛 人々 多くの物 どれも大損害を受けるだろう」は、bestail を「牛」とするのは限定しすぎだが、これもロバーツの cattle を転訳した結果である。また、tous deux feront (2つともが生み出すだろう) が訳に十分反映されていない。
 4行目「牡牛座と天秤座はなんと恐ろしい不和を生むことだろう」は、言葉の補い方によっては許容される。ただし、ピエール・ブランダムールピーター・ラメジャラージャン=ポール・クレベールらは一致して、この2つの宮を期間の範囲(金牛宮の時期から天秤宮の時期まで) と解釈している。

 山根訳について。
 まず1行目「トブルクはしばし蛮族の艦隊を恐れる」*3は2つの点で不適切。tour de Bouc を Tobruk と読むのはエリカ・チータムの解釈の結果であり、実証的には全く支持されていない。
 3行目「家畜 人間 財産 ことごとく大いなる損失を蒙むるだろう」と4行目「牡牛座と天秤座が演ずる何と凄絶な死闘」の問題点は、上記大乗訳のものとほぼ同じ。

信奉者側の解釈

 テオフィル・ド・ガランシエールは、ブークの塔はローヌ河口にある要衝で、太陽が金牛宮にあるときと天秤宮にあるときにそこをスペイン、バルバロイの船が恐れさせ、スペイン人にもフランス人にも大損失をもたらす等と、ほとんどそのまま敷衍しただけの抽象的な解釈しかつけていなかった*4


 エリカ・チータムは Tour de Bouc をリビアの港トブルク (Tobruk) と読み替えて、1911年以来イタリアに支配されて軍事拠点化していたトブルクが、1941年に連合国側とドイツ軍の間で領有を巡って争いになり、ロンメルの攻囲戦が金牛宮から天秤宮の時期に大体対応する4月から12月だったことと解釈した*5

 セルジュ・ユタンは特に曖昧な詩の一つとして具体的には解釈していなかった*6ボードワン・ボンセルジャンの補注では第二次世界大戦の情景に結び付けられた*7

同時代的な視点

 「ブークの塔」とはベール湖畔のポール=ド=ブーク (Port-de-Bouc) に12世紀に建てられた塔のことである。
 ルイ・シュロッセ(未作成)は1543年にオスマン帝国のバルバロッサの艦隊がポール=ド=ブークにも近いマルセイユに停泊したことと解釈した*8

 ピエール・ブランダムールも同じで、ポール=ド=ブークが神聖ローマ皇帝カール5世 (スペイン王を兼ねていた) のプロヴァンス侵略の際に被害を受け、その7年後にトルコ艦隊 (オスマン帝国は当時フランスと同盟関係にあった) がマルセイユやトゥーロンなど、ポール=ド=ブーク近くの港に停泊したことがモデルと判断した*9



※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

タグ:

詩百篇第1巻
最終更新:2018年06月28日 23:14

*1 Brind’Amour [1996]

*2 大乗 [1975] p.52

*3 山根 [1988] p.47

*4 Garencieres [1672]

*5 Cheetham [1973], Cheetham [1990]

*6 Hutin [1978]

*7 Hutin [2002]

*8 Schlosser [1986] p.144

*9 Brind’Amour [1993] p.266, Brind’Amour [1996]