ミシェル・ノストラダムス師の予言集 (1644年~1665年リヨン)

 1644年頃から1665年頃にかけて、リヨンでは様々な出版・印刷業者達が『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』を刊行した。ジャン・ユグタンオラース・ユグタンクロード・ラ・リヴィエールらが刊行年を記載せずに出版した版も、その時期に属すると推測されている。

【画像】刊行年の記載のない版の一例。ユグタンによる第一部の扉(左)とラ・リヴィエールによる第二部の扉(右) *1

正式名

第一部
  • LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS,
    • Dont il y en a trois cens qui n'ont iamais esté imprimées. Adioustées de nouueau par ledit Autheur.
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集。
    • 前述の著者によって新たに加えられた未刊の300篇を含む。

第二部
  • LES PROPHETIES DE M. MICHEL NOSTRADAMVS.
    • Centuries VIII. IX. X. Qui n'ont encores iamais esté imprimées.
  • ミシェル・ノストラダムス師の予言集。
    • 未刊であった百詩篇第八・九・十巻。

 似たような様々な版が存在しているが、いずれの正式名も同じである。異なっているのは住所表示部分だけであり、その点は後述を参照。

内容

 同じような木版画を扉に使っている1644年リヨン版などと基本的に同じである。
 つまり、第一部は第一序文(セザールへの手紙)、百詩篇第1巻から第6巻ラテン語詩は含むが、補遺篇の百詩篇第6巻100番は含まない)、第7巻43番44番を含む44篇)の順に収められている。
 また、第二部は、第二序文(アンリ2世への手紙)、百詩篇第8巻から第10巻101番を含む)、第11巻(四行詩2篇と六行詩58篇)、第12巻(56番を除く10篇)が収められている。

刊行年

 ミシェル・ショマラロベール・ブナズラも、1644年から1665年という幅のある推定しかしていない。これは、刊行年が明記されている1644年リヨン版1665年リヨン版の間に位置付けているためである。

 しかし、実際には出版業者の活動時期や時期による旗印の違いをもとに、もう少しだけ幅を狭めることが可能な版も含まれている。

各版

 以下、当「大事典」で把握している版を挙げるが、おそらく他にも存在しているのではないかと思われる。種類が多い割には1点ごとの現存数が少ないので、それぞれの版はごく小部数ずつ刷られたに過ぎないのだろう。

ジャン・ユグタン/ラ・リヴィエール (1649年以前)

 第一部の住所表示が
  • A LYON, Pour IEAN HVGVETAN, en ruë Merciere, au Phoenix.
 第二部の住所表示が
  • A LYON, Chez Claude la Riuiere.
となっている *2

 ニオール市立図書館にのみ所蔵されている。
 ジャン・ユグタンが "(Le) Phoenix" の旗印を用いるのは1649年までなので、この版の刊行は1644年頃から1649年までの間に位置付けられる。

ジャン・ユグタン/ド・ラ・リヴィエール (1649年以前)

 第一部の住所表示が
  • A LYON, Chez IEAN HVGVETAN, ruë Merciere, au Phenix.
 第二部の住所表示が
  • A LYON, Chez Claude de la Riuiere.
となっている。

 上記ニオール市立図書館の伝本とよく似ているが、第一部の住所表示は前置詞が Pour か Chez か、通りの名前の前に en があるかないか、Phoenix か Phenix かなど、些細な点に違いがある。また、第二部についてはラ・リヴィエールの名前にドがついているかどうかという違いがある。
 この版はショマラもブナズラも指摘していなかったが、Googleブックスでスペインのカタルーニャ国立図書館所蔵の伝本が公開されたことにより、現存が容易に確認できるようになった。

 ニオールの伝本同様、ジャン・ユグタンが "(Le) Phoenix" の旗印を用いるのは1649年までなので、この版の刊行は1644年頃から1649年までの間に位置付けられる。

ジャン・ユグタン (1649年以前)

 ローザンヌ州立・大学図書館に唯一所蔵されている特異な版(Googleブックスで公開されている)。ショマラは言及していなかったが、ブナズラは触れていた *3

 第一部の住所表示が
  • A LYON, Chez IEAN HVGVETAN, ruë Merciere, au Phenix.
となっている。この表記自体は上記カタルーニャの伝本と全く同じだが、第1巻から第7巻までの冒頭の帯飾りや題名の綴り方が異なっており、明らかに版を組みなおした別の伝本と分かる。
 第二部はなぜか1698年リヨン版の第二部になっている。オリジナルとは考えられないので、過去の持ち主が何らかの理由で貼り合わせて製本したのだろう。

ジャン・ユグタン/ド・ラ・リヴィエール (1649年以降)

 第一部の住所表示が
  • A LYON, Chez IEAN HVGVETAN, ruë Merciere, à la Prouidence.
 第二部の住所表示が
  • A LYON, Chez Claude de la Riuiere.
となっている。

 リヨン市立図書館ミシェル・ショマラ文庫、クール州立図書館(スイス)、ブリュッセル王立図書館、オスロ大学図書館に所蔵されている *4 。この記事の冒頭に掲げた画像は、この版のものである。

 ジャン・ユグタンが「庇護者」(La Providence) の旗印を用いるのは1649年以降のことなので、この版の刊行は明らかにそれ以降のことである。

ジャン・ユグタン/オラース・ユグタン (1649年以降)

 第一部の住所表示が
  • A LYON, Chez IEAN HVGVETAN, ruë merciere à la Prouidence.
 第二部の住所表示が
  • A LYON, Chez HORACE HVGVETAN, ruë merciere au Poenix.
となっている *5

 ダニエル・ルソが唯一所蔵していたが、現存状況は不明である。
 旗印等から1649年以降の刊行であることが明らかである。なお、ショマラは第一部と第二部の出版者名が逆なのを承知の上で後出のオラース・ユグタン/ジャン・ユグタン版と同一視しているが、不適切ではないだろうか。

オラース・ユグタン/ジャン・ユグタン (1649年以降)

 第一部の住所表示が
  • A Lyon, Chez Horace Huguetan, ruë merciere au Poenix.
 第二部の住所表示が
  • A Lyon, Chez Iean Huguetan, ruë merciere à la Providence.
となっているというが *6 、この版はブナズラは報告しておらず、上記の題名はショマラの書誌のみに依拠している。ショマラは当時の綴り字や大文字・小文字の区分を忠実に再現することを重視していないため、その辺りの表記がオリジナルと異なっている可能性がある。

 ニーム市立図書館に唯一現存している。この版も旗印の区分などによって、1649年以降の出版であることが明らかである。

ジャン・ユグタン (1649年以降)

 第二部のみが現存している版で、その住所表示が
  • A LYON, Chez IEAN HVGVETAN, ruë merciere à la Prouidence.
となっているという *7

 かつてダニエル・ルソが唯一所蔵していたが、現存状況は不明である。
 上記のニーム市立図書館に所蔵されているオラース・ユグタン/ジャン・ユグタン版の第二部と、実質的に住所表示が同じである。そのためもあってか、ショマラは同一視している *8 。しかし、すでに見た1698年版との貼り合わせ版のように、住所表示が全く同じでも内容は組み直されている事例もあるため、実際に比較しない限りは断定できないだろう。

 いずれにせよ、旗印から言って1649年以降の刊行であることだけは確かである。

オラース・ユグタン/ド・ラ・リヴィエール

 第一部の住所表示が
  • A LYON, Chez HORACE HVGVETAN, ruë merciere au Poenix.
 第二部の住所表示が
  • A LYON, Chez Claude de la Riuiere.
となっている *9

 ニーム市立図書館、イタリア国立アンブロジャーナ図書館に所蔵されている。もっともブナズラに拠れば、アンブロジャーナの伝本は第二部のみが現存しているものだという。となると、ジャン・ユグタンとド・ラ・リヴィエールとの合本などもあるのだから、何故この版の第二部と特定できるのかはよく分からない。

 ショマラやブナズラはこの版を1644年頃に位置付けているが、オラース・ユグタンの出版活動は1649年以降のことなので、この版も明らかに1649年以降に出されている。

リヴィエール

 ブール=カン=ブレス市立図書館に唯一現存しているが、初めの方と終わりの方が欠落し、第一部の扉も失われているため、第一部の刊行者が分からなくなっている。もっとも、第一部に印刷された帯飾りのなかに C.L.というイニシャルがあることもあってか、ショマラはクロード・ラ・リヴィエールの刊行と推測している。

 第二部の住所表示は
  • A Lyon, Chez Claude Riviere, ruë merciere à la Science.
となっているという。この版をブナズラは報告しておらず、ショマラの転記のみに依拠しているため、前述の理由によって実際との違いはあるものと思われる。

関連項目



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