百詩篇第10巻98番

原文

La splendeur claire à 1 pucelle 2 ioyeuse,
Ne luyra 3 plus long temps 4 sera sans sel 5 :
Auec marchans 6 , ruffiens 7 loups 8 odieuse,
Tous pesle mesle 9 monstre vniuersel.

異文

(1) claire à : crairëa 1672
(2) pucelle : Pucelle 1672
(3) luira : vira 1772Ri
(4) long temps : lon temps 1627, longtemps 1665 1840, long-temps 1644 1649Xa 1716, long-tems 1712Guy
(5) sel : Sel 1672, fel 1716
(6) marchans : Marchans 1672 1712Guy, murchans 1716
(7) ruffiens : Ruffiens 1660 1672
(8) loups : Loups 1672, louve 1712Guy
(9) pesle mesle : pele mesle 1590Ro, posle mesle 1649Xa, pesle-mesle 1665 1840, pesle & mesle 1712Guy, pelé meslé 1716

日本語訳

陽気な乙女への明るい光は
もはや輝かないだろう。長い間、塩のない状態になるだろう。
商人たち、放蕩者たち、狼たちとともに耐えがたく、
全てが混乱し、怪異はいたるところに。

訳について

 3行目 odieuse (耐え難い、醜悪な)は女性形の単数であり、この詩で対応する名詞は1行目の「光」と「乙女」のみなので、そのいずれかが商人たちによって耐えがたい状態にさせられると読むべきか。少なくとも、odieuse の直前の3つの名詞(いずれも男性形の複数)を形容していると見るのは、当時の語法を考慮に入れても不自然ではないかと思われる。ギノーがloups (雄のオオカミ)を louve (雌のオオカミ)に改変したのも、その辺りを考慮した結果だろう。
 ただし、ジャン=ポール・クレベールは「商人たちとともに、放蕩者たちと狼たちは耐え難い存在で」と読み、ピーター・ラメジャラーは「商人たち、放蕩者たち、醜悪な狼たちとともに」と読んでいるので、3行目だけで完結させる読み方を不適切として斥けられるかどうかは分からない。

 既存の訳についてコメントしておくが、大乗訳山根訳も全体として許容範囲内と思われる。
 それに対して、五島勉の『ノストラダムスの大予言』に収録された訳は、必要以上に脚色が施されている。
 その3行目「彼女は長いあいだ塩なしで、醜悪残忍なオオカミたちとともにいる」 *1 は、冒頭に2行目の一部が混入しているのはともかく、「商人」に当たる語が完全に脱落している。五島が本文に引用した原文自体からも、marchands の語は省かれている *2 (巻末付録では略されていない)。
 4行目「すべての者は毛と皮がむけ、狂って争い、怪物が地球をおおうことになる」はかなり強引な訳。本文によると、Tous pesle mesleを「すべての者は毛と皮がむけ、狂って争い」と訳したらしいが、pesle mesle (pêle-mêle, 混乱して) は現代語にも残っている何の変哲もない語である。peler (皮膚がむける) と結びつけたのだろうが、それならば tous に対応して pelent とでもなっていないとおかしい(peler が pele と変化するのは一人称と三人称の単数現在形)。

信奉者側の見解

 20世紀半ばまでで解釈したのは、テオフィル・ド・ガランシエール(1672年)とバルタザール・ギノー(1712年)のみのようである。
 ガランシエールは、さる著名な美女がある程度年齢を重ねてから、誰でも受け入れる娼婦になることの予言と解釈した *3 。ギノーも似たようなもので、ある若く美しい女性が長い間堕落することの予言と解釈した *4

 ヘンリー・C・ロバーツ(1949年)は、フランスが以前敵対していた諸国家と密接に結びつくことになる予言と解釈した *5 。ただし、その日本語版では、フランスがナチスに占領されたことの予言という解釈になっている。また、日本語版監修者の内田秀男(未作成)は現代の風俗の乱れと解釈した。

 ジェイムズ・レイヴァー(1952年)は第二次世界大戦初期のフランス情勢と解釈し、ジャンヌ・ダルクのような英雄がフランスに現れなかったことと解釈した *6 。ナチスに占領された時のフランスという解釈は、エリカ・チータムセルジュ・ユタンも採用した。

 五島勉(1973年)は上述の強引な訳をもとに、1999年の破局のあとの悲惨な状況の予言とし、生き残ったわずかな人々も超汚染か放射能によって皮膚がむけた醜悪な姿になり、塩すらなくなる厳しい環境で暮らすことと解釈した *7

同時代的な視点

 ジャン=ポール・クレベールは「陽気な乙女」はウェヌス(金星)の隠喩で、金星の蝕がもたらす災厄について描写したものではないかとした。

 ピーター・ラメジャラーはジャンヌ・ダルクを引き合いに出した破局の描写と解釈した *8


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