原文
Par trahysons
1 de verges
2 à mort
3 battu,
Prins
4 surmonté sera par son desordre:
Conseil friuole au grand captif sentu,
Nez par fureur
5 quant
6 Begich7 viendra mordre.
異文
(1) trahysons 1557U 1557B 1568A 1568B 1588-89 1589PV 1590Ro 1649Ca : trahyson T.A.Eds.
(2) de verges : de vers gens 1557B, de verge 1653 1665 1840
(3) à mort : amort 1589Rg, a mort 1672
(4) Prins : Puis 1605 1628 1649Ca 1650Le 1667 1668 1672
(5) par fureur : p’fureur 1557B
(6) quant 1557U 1557B 1568A 1568B 1568C 1590Ro 1597 1605 1610 1611 1627 1628 1649Xa 1981EB 1772Ri : quand T.A.Eds.
(7) Begich 1557U 1557B 1568A 1588-89 1590Ro 1649Ca 1650Le 1668 : Berich T.A.Eds.(sauf : Berlch 1610 1627 1650Ri 1716, Betlch 1644, Bethlch 1653 1665)
校訂
日本語訳
裏切りにより死に至るまで杖で打ち据えられ、
その騒乱によって囚われ、乗り越えられるだろう。
取るに足らない会議が偉大な捕虜に嗅ぎつけられる、
ベジックが狂って鼻を噛みに来るであろう時に。
訳について
3行目の sentu は sentir の古い活用形であるという。
エドガー・レオニや
ピーター・ラメジャラーなど、英語圏の論者はこれを「手渡される」「送り届けられる」の意味に訳している者がいるが、英語の send と違い、フランス語の sentir は「知覚する」「匂いをかぐ」などの意味であり、DMFでも「送る」などの意味は掲げられていない。当「大事典」では4行目の nez (鼻)とも連動した比喩と見なし、「嗅ぎつける」と訳した。
レオニたちの訳は、英語の sent を脚韻のために変形させたと考えれば問題なく成立するのかも知れないが、ノストラダムスが英語を使うことは極めてまれであり(
百詩篇第2巻17番の
Northでさえ、英語を使用したのかには議論がある)、文脈には沿うが、妥当性は疑問である。
なお、LAFによるとかつては sentir a で「~の影響を受ける」という意味になったらしいので、3行目は「取るに足らない勧告は囚われた偉人に影響される」とは訳せるかもしれない。
既存の訳についてコメントしておく。
大乗訳はおおむね問題ないが、3行目「囚人はあさはかな会議をこころみ」が微妙である。sentir を「試みる」と訳す根拠が不明なうえ、grand が訳に反映されていない。
山根訳について。
1行目「誤報ゆえに鞭で打ち殺される」は、もとになった
エリカ・チータムの英訳でも for treason となっていたものが何故「誤報」と訳されたのか、よく分からない。
同3行目「つまらぬ助言が大いなる虜囚に届けられ」の「届けられ」の問題点は、上で述べたとおりである。
信奉者側の見解
全訳本以外ではまず取り上げられてこなかった詩篇であり、20世紀以前では
テオフィル・ド・ガランシエール以外にコメントした者が見当たらないが、その彼にしても「単語はとても平易なので、各自がそれぞれの解釈をするかもしれない」としか述べておらず、ではガランシエール自身はどう解釈したのかには一言も触れていない。
エリカ・チータムはキーワードとなるBerichが解明されていないと述べただけだった。
セルジュ・ユタンは、あいまいな詩篇だがルイ15世に当てはめられるかもしれないとしていたが、
ボードワン・ボンセルジャンはあいまいな詩篇で描写に合致するような君主がほとんど見当たらないとして、ルイ15世とする説を支持しなかった。
同時代的な視点
ピーター・ラメジャラーは Begich をベルギーと見なした上で、当時のベネルクスのあたりで神聖ローマ皇帝カール5世が起こしていた騒乱と結び付けられる可能性を示した。
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最終更新:2012年08月27日 21:03