百詩篇第5巻59番

原文

Au chef Anglois 1 à Nymes 2 trop seiour,
Deuers l'Espaigne 3 au secours 4 Aenobarbe 5 :
Plusieurs mourront par 6 Mars 7 ouuert ce iour 8 ,
Quant 9 en Artoys 10 faillir estoille en barbe 11 .

異文

(1) Anglois : anglois 1981EB
(2) Nymes : Nismes 1597 1600 1610 1644 1650Ri 1653 1665 1672 1716 1840, Nisme 1627
(3) l'Espaigne 1557U 1557B 1568B 1568C 1568I 1589PV 1590Ro 1597 1611 : l'espaigne 1568A, l'Espagne T.A.Eds.
(4) secours : secous 1568A
(5) Aenobarbe 1557U 1589PV : Ænobarbe T.A.Eds. (sauf : enobarde 1588-89, Areobarbe 1649Ca, Ænobatde 1665)
(6) par : pars 1627
(7) Mars : mars 1628
(8) ce iour : se iour 1611B, seiour 1981EB
(9) Quant 1557U 1557B 1568B 1568C 1568I 1589PV 1590Ro 1627 1772Ri : Quand T.A.Eds.
(10) Artoys : Arrois 1600 1627 1644 1650Ri 1653 1665
(11) barbe : Barbe 1672

日本語訳

ニームにてイングランドの指導者には過度の逗留が。
アヘノバルブスはスペインの方へと救援に。
多くの者たちがその日に開かれたマルスによって死ぬだろう。
アルトワで鬚髯 〔ひげ〕 の星が衰える時に。

訳について

 1行目、2行目は省略されている語をどう取るかなどによっていくつかの訳がありうる。当「大事典」ではピエール・ブランダムールの読み方に従った *1
 ピーター・ラメジャラーは2行目について「(イングランドの指導者が)アヘノバルブスを救いにスペインの方へ」と読んでいる。au secours の直後に de が略されていると見る分には、可能な訳ではある。リチャード・シーバースの英訳もこちらに近い。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳の構文の理解はおおむね問題はないが、2行目「赤い髪の男はスペインを助けにいき」 *2 の「髪」は(ガランシエールロバーツの英訳の直訳ではあるが)「鬚」の誤り。また、4行目「アートワーでひげのように星が落下するだろう」は en barbe の訳し方が不適切。それは星を形容しており、「鬚の星」(鬚を生やした星)の意味。

 山根訳もおおむね許容範囲内の訳だが、4行目「髭の星がアルトワに降る」 *3 は、「衰える」を「失墜する」の意味に理解すれば「降る」と訳せるかもしれないが、多少意訳しすぎの可能性もある。

信奉者側の解釈

 テオフィル・ド・ガランシエールは「鬚の星」が彗星のことだろうということしか示していなかった *4
 その後、20世紀までこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードの著書には載っていない。

 アンドレ・ラモンは未来にフランスに現れる名君アンリ5世が「赤鬚」のあだ名で呼ばれることになり、彼がスペインを救いに行くことの予言とした *5

 エリカ・チータムは1973年の時点ではひとことも解釈を付けていなかったが、後の著書では、未来に関する予言で、第三の反キリストに関わる詩かもしれないと解釈した *6

 セルジュ・ユタンはナポレオン戦争末期の情勢とした *7
Fontbrune [1939] p.264

 なお、ピエール・ブランダムールによると、海外の解釈者の中には、4行目のアルトワの星に関連し、この詩を19世紀に登場したベルギーのビール「ステラ・アルトワ」と結びつける者がいるらしい。

同時代的な視点

 3行目の「その日開かれたマルス」が「その日戦争が始まる」ことの隠喩であることと、4行目の「鬚の星が衰える」が彗星または流星の隠喩であることは、まず疑いないところだろう。

 ピエール・ブランダムールはアヘノバルブスが海賊艦隊のバルバロッサを指している可能性を指摘した *8

 ロジェ・プレヴォは1564年頃の出来事と結びつけたが *9 、この詩の初出は1557年なので、採用することは出来ないだろう。

 ピーター・ラメジャラーは特定できないとした *10 。モデルを特定していないのはジャン=ポール・クレベールも同じで、そもそも16世紀にイングランドの指導者がニームに滞在した記録自体を見出せないとした *11

【画像】関連地図(アルトワ地方は中心都市アラスで代用)


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