百詩篇第7巻37番


原文

Dix enuoyés, chef de nef1 mettre à mort,
D’vn aduerty, en classe guerre ouuerte:
Confusion2 chef, l’vn se picque & mord3,
Leryn4, stecades5 nefz, cap6 dedans la nerte.

異文

(1) nef : nefs 1611B 1981EB, pef 1653 1665
(2) Confusion : Confussion 1716
(3) mord : mort 1611B 1668P 1981EB
(4) Leryn : Le ryn HCR
(5) stecades : Stecades 1672
(6) cap : caps 1672

(注記)HCR はヘンリー・C・ロバーツの異文。

校訂

 ジャン=ポール・クレベールは3行目前半を Confusion de chef と綴っていた。ただし、この点について何もコメントしていなかったので、意図的な校訂なのか書き誤りなのかがはっきりしない。
 エドガー・レオニらは4行目の Leryn を Leryns と綴るべきと指摘している。これは確かにその通りだろう。同じく、stecades を Stecades (Stoechades) と理解することについても、異論は見当たらない。
 反面、最後の la nerte を La Nerthe と綴るべきかは意見の分かれるところだろう。クレベールやピーター・ラメジャラーはそう読んでいる。当「大事典」としても、ひとまずはこちらを支持している。

日本語訳

十人が遣わされ、船の首領は死ぬ。
一人に注意を喚起され、艦隊での戦端が開かれる。
端緒は混乱。ある者は刺されて噛み付く。
レランスストエカデス、船団、ラ・ネルトの岬。

訳について

 1行目はピーター・ラメジャラーリチャード・シーバースの読みに従ったが、ジャン=ポール・クレベールは逆に「船の首領が遣わされた十人を死なせる」と読んでいる。
 3行目 Confusion chef について、シーバースはそのまま Confusion, captain と並列的に訳している。ラメジャラーは Confusion shall reign と英訳しているが、この場合の chef を「支配する」という動詞として理解できるかは疑問である(古語辞典にそのような意味は載っていない)。DMF には「始まり」(commencement) という意味が載っていることから、当「大事典」では上のように訳した。
 後半の mord をシーバースは mort と同一視したようで、「刺されて死ぬ」と読んでいる。非常に自然に意味が通るが、正しいかどうかは何ともいえない。ちなみに、mord (mordre) は単に「攻撃する」という意味もある。
 4行目は前置詞などの不足から、「レランスとストエカデスを発った船団がラ・ネルトの岬へ」、「ラ・ネルトの岬からの船団がレランスとストエカデスを経由する」など、いくつもの状況を想定しうる。モデルを特定しない限り、的確に言葉を補うのは難しいだろう。

 既存の訳についてコメントしておく。
 大乗訳について。
 1行目「一〇は船長に死をおくり」*1は、不適切。enuoyés は過去分詞なので、10人は送られる対象であって、送る主体ではない。
 4行目「ラインはこやし舟で北の岬に」はほとんど意味不明だが、ヘンリー・C・ロバーツの英訳をほとんど直訳したものである。Stecades が「肥やし」になるのは意味不明だし、nerte を「北」と訳したのはおそらく英語の north にひきつけたものだろう。ちなみにテオフィル・ド・ガランシエールは4行目を一切訳しておらず、dedans なども原語のまま書き写していた。ロバーツがガランシエールを頼らずに自力だけで訳すと、こんな悲惨な訳になるという例の一つだろう(そもそもガランシエールの英訳自体、それほど質が高いわけではない)。

 山根訳について。
 1行目「艦長を消すべく派遣された十三人」*2の「十三人」は「十人」の誤訳か誤植。もとになったエリカ・チータムの英訳では普通に ten になっている。
 2行目「ひとりに変えられ 艦隊に表面化する叛乱」は、チータム訳のほぼ忠実な転訳だが、adverti が「変えられ」になる根拠など、不明瞭な要素が多い。
 3行目「混乱 司令官同士の噛み合い 刺し合いが」は、l'un...l'autre (一方も他方も) の構文をここに持ち込むことが疑問。また chef は単数形である(上記の通り、複数にしている異文はない)。
 4行目「ルランとイエールで 艦船は闇に呑まれ」は強引だが、nerteを「闇」と読むことはエドガー・レオニもしていたので、許容される余地はある。

信奉者側の見解

 テオフィル・ド・ガランシエールは、3行目までは平易とする一方、4行目はアンティポデス (足が逆向きに生えている怪人の名。または、大地の正反対にあると信じられた異境の名) の言語のごとくに意味不明だとして、翻訳すらしていなかった*3
 その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャンバルタザール・ギノーD.D.テオドール・ブーイフランシス・ジローウジェーヌ・バレストアナトール・ル・ペルチエチャールズ・ウォードアンドレ・ラモンジェイムズ・レイヴァーの著書には載っていない。

 マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌは未来の世界大戦において教皇が暗殺される予言と解釈した。nef (船) をカトリック教会の隠喩と見たものだろう*4

 ロルフ・ボズウェルは第二次世界大戦の状況と結びつけた*5

 エリカ・チータムは特定の事件とは結び付けておらず、のちには外れた予言の可能性も示した*6

 セルジュ・ユタンは解釈の難しい詩だとしていたが、ボードワン・ボンセルジャンは1981年のヨハネ=パウロ2世暗殺未遂事件と解釈した。もっとも、ローマで起こったあの事件は、示されている地名と随分離れているが、そのあたりの説明はない*7

同時代的な視点

 レランスはカンヌ南のレランス諸島、ストエカデスはトゥーロン南東のイエール諸島のことである。この時点で事件の舞台がフランス南東の沿岸部であることは明らかだが、la nerte までが地名(マルセイユ近郊の港)なのだとしたら、駄目押しになるだろう。
 ただし、ピーター・ラメジャラーをはじめ、モデルとなる事件を特定できた論者はいないようである。

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最終更新:2012年09月05日 22:39

*1 大乗 [1975] p.211。以下、この詩の引用は同じページから。

*2 山根 [1988] p.251。以下、この詩の引用は同じページから。

*3 Garencieres [1672]

*4 Fontbrune (1938)[1939] p.276, Fontbrune (1980)[1982]

*5 Boswell (1941)[1943] p.214

*6 Cheetham [1973], Cheetham [1990]

*7 Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]